【伊藤若冲 /「紫陽花双鶏図】
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本作品は若冲本人の手によって相国寺に寄進されたが、後に【皇室御物】となり、現在は宮内庁にて管理されている。




Profile


江戸時代の京の絵師。
伊藤若冲は写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」と呼ばれてます。
伊藤若冲の生年月日は1716年3月1日。伊藤若冲の没年は1800年10月27日。
この伊藤若冲、近年まではさほど有名ではなく、いわゆる「知る人ぞ知る絵師」で
伊藤若冲の評価は90年代後半から飛躍的に高まり、
伊藤若冲の超絶した技巧や奇抜な構成は高い人気を誇ります。

京都、錦小路の青物問屋の長男として生まれる。
22歳で父が没し家業を継ぐ。
若冲は商売にもあまり関心がなかったらしく、
頭の中は絵筆を描きたいという思いしかなかったようです。
30歳を過ぎてから絵を本格的に学び始め、
当時の画壇の主流だった狩野派に学びますが
狩野派には飽きたらず画塾を辞めます。
後、独学で腕を磨いていくことになるのですが、
39歳で弟に家督を譲って隠居してしまいます。
これ以後、若冲は四半世紀の間、ずっと作画に専念する。


※長々と若冲の経歴を語るには訳があります
現存するどの絵も最高級の画材で描かれており、
(遠く中国から取り寄せたと思われる画材も)
更に200年以上経っても素晴らしい発色の要因は
驚く事に若冲は絵の殆んどを、相国寺に寄進し、
売買していないのです。
つまり人の手から手に渡ってない事です
ある意味、究極の旦那芸!?



【動植綵絵】
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動植綵絵30幅から一部。


相国寺に釈迦三尊像とともに若冲が寄進した仏画です。
平成11年度から6年をかけて解体修理と共に絵具の調査なども行われました。
当時、輸入された青(プルシアンブルー)の人工顔料が使われていたことや、
絹地の裏側に彩色をしていること等が分かりました。




『鳥獣花木図屏風』
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この技法は 「枡目描き」といって
若冲の得意の技法。

「1000年後に評価されれば良い」と言っていた若冲の絵は

それより750年早く脚光 を浴びることになりましたが、

若冲はじめ北斎や歌麿の浮世絵、狩野派など多くの日本画は

海外での評価が国内での評価よりも遥かに高く、

その多くは日本には無いという事実は、悲しいものがあります。



本記事は2011-05-24に投稿したものを再編集で投稿しました。







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