最近、推理小説をよく読むようになった。

 

推理小説の登場人物は、根っからの悪人もいるけれど、暗い人生や過去を抱えていて、なんというか、架空の世界の読み物として淡々と読めるところが、今の気分に合っているのかな。

 

あまりに完璧な主人公や愛に溢れた夫婦が登場する小説には嫉妬心(?)が湧くし、チャラチャラとした若者言葉が出てくる小説は、それだけで世代のギャップを感じて読みたくなくなる。今の私の心は僻みっぽくて偏狭なのである。

 

 我家の娘が全員結婚して1年半。先月は三女の新居のリフォーム工事の手配をし、それも無事に終えてホッとしている。これで娘たちのお手伝いは最後かな?

 

2年前までは下の2人の結婚はもうないのかも、と思っていたのに、あっという間に結婚し、家までも購入した。ローンはあるにしても、親にとってもこんなに安心なことはない。

 

でも、ふと思う。娘3人は相手がいるし、義両親たちもご夫婦揃っている。

 

私だけ一人じゃん!

 

私が38歳の時、主人がくも膜下出血で突然亡くなった。間もなくバブルの崩壊で経済的に大打撃を受け、青くなって働きながら、4歳、11歳、12歳の子供を育ててきた。周りを見る余裕もなかったけど、気付いたら一人じゃん!

 

長女とは同じマンションに暮らしていて、毎日のように孫のルイ君はやってくるし、次女、三女からもラインや電話がかかってくる。だから、孤独で淋しいというわけではなく、主人という相棒がいないのが淋しいのである。

 

やっぱり一番ワガママが言えるのが主人だったし、一番お茶目で面白い人も主人だった。旅行に行った時の楽しさ(と喧嘩)の思い出は今でも鮮やかに思いだす。(多少の美化はあるけど・笑)

 

だから、旅行に行こうかなと思っても、一人では行きたくない。見て、味わって、感想を言い合って、共感してもらえる人と行きたいのである。

 

よく、ご主人とは旅行に行かず、女友達と出かけるという方もいるけれど、私はそういう友達がいないのだと気づく。家族を守っているつもりで、結局は自分が家族に依存していたらしい。

 

実は、主人のことなどすっかり忘れて暮らしていたんだけど、次女と三女の2組の義両親にお会いした時、本当にお義母さんたちが羨ましくなってしまった。長い期間、同じ暮らしをしてきて、気持ちがすっかり通い合っている安心感が溢れていたもの。

 

「他人を羨ましがらないのが、幸せの秘訣」と思っているんだけど、たまには、掟破りの日があっても仕方ないでしょう。さて今夜も、私以上に起伏に富んだ人生を歩いている推理小説の主人公に会いに行くとするか。