人参の上の方を切ってお水に浸けておいたら成長してきました。(右から2番目です。)涼やかなにんじんの葉っぱが好きです。

 
今朝、ゆで卵をスライス器でカットした途端、床に落としてしまいショック!えーん でも、見事すぎる散らばりように可笑しくなりました。

 

ルイ君は今日が終業式です。早く帰ってきていたので、15時ごろ私の家にやってきました。私は、ダイエットもあり、お菓子を買っていないので、お好み焼きを作ってあげました。  

 

キャベツだけでなく、ブロッコリーとエリンギ、それに豚肉と卵を入れて、栄養満点です。もちろん完食しました。

 

19時から1時間15分ほど、ルイ君のパパが私の家に来ていました。パリのマンションの管理組合の会議にiPadで参加していたのです。便利な世の中ですね。

 

しかしまぁ、パパの声の大きいこと!そして早口でよくしゃべること!隣の部屋にいても聞こえてきます。こんな大声で長く喋ってると、聴覚過敏のルイ君に「やめて」と邪魔されるから我家にきているのです。(笑) 無事に会議を終えられてよかったです。

 

ところで今日は1日中家にいました。食事をしながら「徹子の部屋」を見ていると、今日は松島トモ子さんがゲストでした。いろいろなお話の中で、3年前に亡くなられたお母様のことが話題になりました。

 

あんなにお上品で美しくて賢明だったお母様が、認知症になられてからは人が変わってしまい、それまで聞いたこともない乱暴な言葉を口にされたり、とにかくすっかり豹変されてトモ子さんはショックを受けたと言うことでした。

 

時々そういう話を耳にしますね。社会的地位もあり紳士的だった父親や、穏やかで理想的な振る舞いをしていた母親が、認知症の発症とともに悪態をついたり、凶暴になったりして、家族がショックを受けると言う話です。

 

また、認知症になっても周りの人に対して穏やかで、好かれていると言う方もいます。昨日はテレビに認知症の漫画家蛭子能収さんが出ていましたが、とっても穏やかでしたね。

 

今日ふと思いました。自分の欠点を全く晒さず、完璧な親であるのみならず完璧な人間として生きてきた人は、心のどこかに我慢して押さえつけていたものがあり、それが認知症とともに突然解放され、周りからみると、豹変したように見えるのではないかと。

 

でも、失敗もすれば、他人に迷惑を掛けたり掛けられたりし、また許してもらったり許したりしながら自由にのびのびと自然体で生きてきた人は、押さえつけてきたものがないから、認知症になっても大きくは変わらないのじゃないでしょうか?

 

どちらが良い悪いではなく、性格により生き方や自分の見せ方が違ってくるのであって、人間が元来持っている感情は皆殆ど同じなのかもしれませんね。

 

私は自分が人間としても、母親としても不完全だったことに後悔を覚えることもありますが、それだけ自分を出して生きてきたということなので、蛯子さんタイプじゃないかなぁ?つまり呆けても穏やかに生きていく…それならいいなと、勝手に妄想した私です。