朝から地震を告げる音が鳴り響きビックリしました。幸いすぐに収まりましたが、今後、東京にも激しい地震が起きるのだろうかと不安になりました。

 

そしてもう一つ驚いたことは、大谷翔平選手の通訳としてすっかりおなじみの水谷一平氏が違法な賭博をしていたとして球団から解雇され、更には大谷選手が大規模な窃盗の被害(6.8億円)に遭っていることが判明し、大谷選手の代理人弁護士が捜査当局に告発したというニュースです。そのお金は賭博の負債の返済に充てられたということです。

 

詳しいことはまだわかっていないようですが、正に青天の霹靂です。試合が始まったばかりという時に、信頼していた人から裏切られていたことがわかった大谷選手が本当に気の毒です。

 

TVでは、早速「ギャンブル依存症」という言葉が飛び交っていて(水谷氏本人もそう言っているとか)、「病気なので、責めてもしかたないですね」とか仰る方も。病気?私にはちょっと納得しがたいです。

 

読書記録①

「今夜は眠れない」(宮部みゆき・作)

ブロ友のMt.さんが読まれたという作品。主人公は中学生の雅男。母親に殆ど知らない人から5億円の遺産が残されたことから、友人の島崎と共に、その謎を探っていく。中高生用に書かれた作品かもしれないけれど、なかなか読みごたえのある作品でした。

 

5億円を手にしたと世間に知られてからは、脅迫電話や寄付の要請電話、手紙などが沢山来たけれど、その中の「ジャンボ宝くじを当てたために人生が変わった」という手紙が紹介されていました。

 

「この社会は純然たる”幸運”を許してくれるほど、度量が広くないのでありましょう。ここからなんとかしてその幸運を目減りさせようと、マイナスの圧力をかけて来るのです。ここは、ただじっと忍んでくださいと申しあげ、貴殿のご一家が無事にこの嵐をきりぬけられるよう、念じるばかりです」

 

結局、この男性は、会社も辞め、ローンで買ったマイホームも手放して、奥さんの実家のある地方都市へ引っ越し、今は底で家業を手伝っているのだとか。


ここのくだりは、私も主人が残してくれた遺産を瞬く間に無くしてしまった経験があるので、印象的でした。

 

読書記録②

「白鳥とコウモリ」(東野圭吾・作)

これはブロ友タケシさんのブログに書かれていた作品です。タケシさんが「文庫本がなくて、単行本は重くて参った」と書かれていた通り、結構分厚い本でした。


それだけに綿密に計算された複雑な人間関係が丁寧に描かれ、思いもよらない展開が続き、読み応えのある作品でした。先が気になってどんどん読み進んでいきました。久しぶりに大人の推理小説を読んだ気分です。

 

登場人物はそれぞれの立場は違っても好ましい人ばかりだったので、それも読んでいて気持ちよく、純粋にストーリーの展開が楽しめました。ただ、タイトルはちょっとなあ?と思いました。対照的なものを並べるのならもう少しセンスのいいものにしたら、と僭越ながら思ってしまいました。(笑)

 

読書記録③

「老いてこそ遊べ」(遠藤周作・著)

これは、図書館の作家別書架で偶然手に取った作品。いろいろな雑誌や新聞に書かれた小品やエッセイを集めたものです。パラパラと読んで、すぐに惹き付けられました。

 

「人生楽しむこと」1983年

58歳になってから、ピアノと手品(魔術)と俳画を習い始めたとあります。それ以外にも毎週習っているのはダンスと合唱とか。音符も全く読めない人ばかりの合唱団だそうですが、彼は有名人なので、ダークダックスと日比谷公会堂で競演をしたり、普通の合唱団とは違っています。どこまで本当なのか分かりませんが、その活動が状況に対応して面白可笑しく描かれています。

 

私も才能もないのに、稽古事が好きなので、遠藤氏の多趣味に共感を覚えました。ピアノや手品は老人ボケを防ぐため。指を動かすのがいいと言っても単に動かすのでは退屈するからだそうです。


また、コーラスは複式呼吸をするので、それが若さと健康を保ってくれる、と理由もちゃんとあります。実は、私も簡単な手品を覚えたいとサークルに通ったことがあるので共感を覚えます。

 

これは1983年に書かれているので、もう40年前のことです。当時としては男性がこんなにたくさんのお稽古事をするのは珍しかった事でしょう。でも、意識が進んでいたんだなあと感心します。

 

まあ、こんなことから読み始めたら、本当に面白いし、共感を覚えるものがいっぱいありました。

 

「老いとボケ」1982年

老人問題を研究している奥川幸子さんの言葉として「身辺雑事の苦労を全て取り除いて、あまり楽にしてあげると、老人は必ずしも倖せじゃないのかもしれないわ」「そうすると老人は死の恐怖と向きあう以外になくなってしまうの。身辺雑事の苦労は、老人が死と向きあうのを胡麻化してくれるものなの」納得です。

 

「老いる時は老いるがよし」1992年

要約すると…

戦前の数世代同居の「家族」の中での老人は居場所があった。仕事を離れても若い者から一種、尊敬の目で見られた。能でいう「翁」のイメージで、神の世界に一歩近くなっていて、体力は衰えているが魂の力だけが優れてきた人を指していた。

 

戦後の夫婦単位の「家庭」では老人は機能の衰えたものとしか考えない。若い者が世話をせねばならぬ哀れな者たちというイメージである。


老人も老人で、いつまでも「若くある」ことが老人の最良の生き方だと思っている。敬老の日の標語などに「まだまだ負けない20代に」などの種類のものが当選になるのはそのためである。


私は老人は自分の老いを老いとして受け入れ、その上での生き方を考えるべきだと思っている。「老いる時には老いるが良し」という言葉を、私は老人に贈りたい。

 

こういった小文が40編も収められているけれど、今読んでも通用します。ただ、彼は私の親世代なので、50代60代はもう年寄り扱いですね。(笑)


文章もとても読みやすく、また、筆者の人柄も伝わって来て、改めて遠藤周作という作家を見直したところです。