今日経験したことを小説風に記録してみます。(笑)

 

 

登場人物

邦子…マンションの住人。管理組合の理事

清子…マンションのクリーニングのおばさん

管理会社の担当者

 

清子は都心のあるマンションで、午前9時から11時まで共有部の清掃をしている。もう、15年位も続けている。年齢は50代の後半だろうか、独身で近所に父親と住んでいたが、数年前に父親は亡くなり、今は一人暮らしである。小柄でほっそりしていて、薄い髪をさらりとしたショートカットにしているので、清掃の紺色の制服を着た姿は、まるで中学生のようだ。

 

小さな顔についた小さな目や口元から内気そうな印象を受けるが、話し出したらマシンガントーク。クドクドと話が長く、掃除時間の最中の筈なのに、1時間位話し続けることもある。たった一人でする仕事なので、話し相手が欲しいのだろう。歴代の管理人とはことごとく仲が悪い。まあ、管理人の資質も確かによくはないが、自己主張の強い清子にもその責はあるかも。

 

居住者は賃貸が多いので、掃除に文句を言う人はいないが、清子はむしろその無関心さに不満を覚えている。

 

このマンションはエレベータも2基あるが、正面にはホテル風に、2階へ続く広い階段が設置されている。今朝は、夜間にその階段に座って飲食をした人がいたらしく、アルコールの残りとみられる液体と袋からはみ出たポテトチップスがかなり目につく量、数段に亘って散らばっていた。

 

清子は憤然とした面持ちでその場を眺めていた。「まただ、ここは飲食禁止なのに」

 

そう思っていたところへ管理組合の理事の一人である邦子がやってきた。孫をスクールバスまで送り届けた帰りである。邦子は70代の大柄な女性で、愛想よくされるとそれを振り切れない性格なので、たまに清子に出会うと引き留められては雑談をする関係である。清子は格好のおしゃべり相手と思っていて、邦子にはいつも愛想がいい。

 

その日も早速清子は訴えた。「邦子さん、邦子さん、これみてください。酷いでしょう?」邦子もその汚し方を見て、驚いた。「あら、あら、これはひどいわね」それからは清子の独壇場で、「こんなことが2年間も続いている。管理人に訴えても動いてくれない。理事長にも報告したけれど、止められない。ここに飲食禁止の張り紙をしてくれませんか?」と、早口で延々と繰り返した。

 

邦子も初めて見る現場に驚き、これはみっともない、では私がすぐに張り紙を作りましょう、と請け負った。本来なら管理会社に張り紙をお願いするところだが、動きが遅い。丁度その日暇だった邦子はスマホで写真を撮り、自宅で「共有部での飲食は禁止」という文字と写真を合わせて印刷した。

 

そして、理事長の部屋に行き、今朝の出来事を説明し、張り紙をしてもいいという承認を得て、管理人に頼んで階段横の壁に貼りだしてもらった。あとで見たら、その張り紙をコピーしてエレベーターの中にも貼ってあったが、きっと清子の指図だろう、と邦子は思った。

 

翌朝、階段横のその張り紙は剥がされていた。「邦子さん、きっと犯人はエレベーターの中にはカメラがあるので剥がせなかったんですよ」と清子は興奮して繰り返した。そして、剥がされた場所にまた張り出してほしいと邦子に頼んだ。

 

邦子は正面玄関にそんな写真を貼り続けることはみっともないと感じていた。外部から来た人に、こんな住人のいるマンションか、と思われるではないか。けれども清子はクドクドと張り紙に固執し、結局壁に貼ってある「禁煙」と書かれたプラスチックのプレートに下に、「飲食禁止」という文字を印刷をしてラミネートをかけたプレートを張ることで納得した。

 

しばらく、夜中に飲食されることはなく、清子は邦子に会うたびに満面の笑顔で近づき、張り紙の効果をとくとくと述べた。これまで2年間、犯人は平気で続けてきた。それをどうしても阻止したいという意気込みが伝わってきた。邦子も夜中に階段で飲食する人に対して、徹底的に排除したいという気持ちは清子と同じだった。

 

ところが調子に乗った清子は邦子に更なる要求をしてきた。あと、数カ所、その張り紙をしてほしいというのである。邦子はそれには賛成できなかった。だって、この張り紙はみっともないもの。あちこちにペタペタ貼るのは嫌だ、と思い、断った。

 

とにかく、清子は思い詰めて必死なので、自分の味方をしてくれそうな邦子の部屋のインターフォンを、「お邪魔してごめんなさい」と言いながら、何度も押すようになった。その度に出て長話になるのも大変なので、邦子は「今度また飲食の形跡があれば、私に教えてね。でも、朝など、私は遅くまで寝ていることもあるから、インターホン越しに話を聞きますね」ということにした。

 

さて、今朝もインターホンのチャイムが鳴ったので、邦子はカメラを覗いた。すると清子の顔が現れた。清子は思い詰めたように「今日は3階から4階に上がる階段でまた沢山のスナック菓子が散らばっていました。」という。邦子は「それ、まだそのままですか?」と聞くと「いえ、人が通る邪魔になるので、もう片付けました。午前8時に邦子さんにピンポンするのも申し訳ないと思いまして」という。

 

カメラの清子は眉間にしわを寄せた化粧っ気のない顔で、淋し気な紺色の掃除のユニフォーム姿で、遠慮がちにその模様を話し始めた。そして、とにかく張り紙をしてほしいというのである。

 

邦子は「月末に管理組合の理事会があるので、貼り紙の件は相談しますね。」というのに、「現場を見つけてすぐに貼るのが効果があるんです。だから、今貼ってほしいんです」と頑固である。邦子はちょっと嫌気がさしてきた。

 

先ず、この犯人は一人である。マンションの住民は9時を過ぎると、廊下や階段を通る人も殆ど無いのである。だから、犯人はどこででも飲食できるのである。邦子は「事情があって、家の中では飲ませてもらえない人が、家に入る前に飲んでいるのでは?」と踏んでいる。

 

ならば、たった一人の犯人を捜すためにマンション中に張り紙をするのはどうなんだろう?ふと、清子の執念が面倒になってきた。理事会まで待ってくれたらいいではないか。これほど私が張り紙はしたくないと言っているのに、何故お掃除のおばさんが張ってほしいと主張するのか?

 

理事長は職場もこのマンション内なので、尋ねることはできるけれど、現役で仕事をしているので、できたら邪魔をしたくはないのである。押し問答の末、一応管理会社の担当者に相談すると言って、ようやく解放してもらった。

 

そして、担当者に電話をすると、始めの一言が「ええ、その件は聞いていますが、張り紙をベタベタするのは・・・」と邦子と同じ意見を述べた。そして、驚いたことに「掃除はあの人の仕事ですから、そのために雇っているんですから。」と言った。

 

「そういう考えもあるのか!そういえばそうだわ。」と邦子は妙に納得した。誰かが飲食していると清子が犠牲になっているような気がしていた。だれも清子のくやしい気持ちに気付かないのだと同情していた。でも、お掃除は彼女の仕事だという考え方もあるんだ。

 

毎日飲んでいるわけでもないし、集団で飲んで騒いでいるわけでもない。確かに廊下や階段でものを食べたり飲んだりしてはいけないことになってはいるが、たまに置きっぱなしの酎ハイの缶は1本だけである。スナック菓子が大きく散らばっていたのは12月と1月で2回だけである。

 

何故、そこまで張り紙をペタペタ張らなくてはならないのか?何故こちらが張りたくないといっているのに、張ってくれと主張するのか?彼女の必死さに同情した自分が愚かだったのか。

 

管理会社の担当者は「何日に何が落ちていたら、メモにして提出してくれたら、その頻度によって検討したらどうでしょう」と言った。邦子は「お掃除の方には、管理人さんに都度報告するようにと言っているんですけど」というと、「ほら、あの人は自分では何もしなくて人のせいにするんですよ。あの人に書いてもらってください」といわれた。ああ、この人とも清子は対立しているのか、と邦子は気づいた。

 

そこで邦子は廊下を廻り、清子を探した。そして、3つのことを言った。「やはり張り紙はたくさんは貼るのは美的によくない」「メモ書きでいいから飲食の形跡のあった日を書きだして理事会に提出してほしい」「その後、理事会で検討する」

 

驚いたことに清子は豹変した。「なんで私が書くんですか?私は管理人さんに口で報告しています。管理人さんが書いて提出したらいいではないですか」と。うーん、それも一理あるけれど、管理人さんは管理会社の人で、管理会社と理事長はもう取り合わないということにしているのである。それにしても、日付とチューハイ1缶、とかスナック菓子と書くくらい、それほど大変な事なのか?

 

清子はこれまでの下手に出るような態度から一変した。「私のマンションじゃないんですから、掃除すればいいなら掃除しますよ。でも、スナック菓子の油汚れは、私はそんな汚れの専門家じゃないですから、マンションはだんだん汚れてきますよ。私は皆さんのために、と思って行っているんです。それでもいいというなら、私は掃除だけしておきます!」と食って掛かってきた。おお,怖っ!これまで邦子には一度も見せたことのない態度だった。

 

鼻をかむためにマスク代わりのマフラーを下げたら清子の細面で、鼻も口も目もみんな小さい子供のような可愛い顔を見ながら、邦子は思った。「ああ、この人も頑固なんだな。この年まで、誰への気遣いも必要なく一人で好きなように暮らし、職場では話す人もいない一人でする仕事で、自分の好きなようにやっている。小さな世界で自分の考えだけで判断しているんだな」と。

 

丁度その時知り合いが通ったので、彼女は「では分かりました。汚れが目立つような時だけ書いておきます」と言ったので「いえ、少々のスナックが落ちていても書いてください」と頼んだ。そこでも押し問答になった。どうも、少しの汚れの時には書きたくないようなのである。ということは、言う程回数が多くないのかもしれないなと思った。

 

なんだか不快な気持ちで、管理会社の担当者に顛末を報告した。清子とこれまでも数々の衝突があった彼は「やっぱり自分で書くのは嫌だといったんですね。自分は口ばかりで、やらない人なんですよ」と我が意を得たりという感じ。

 

邦子が「でも、私も始めは驚いて、彼女の言う通り、なんとか犯人に止めさせようと意気投合したわけなので」と申し訳なさそうにいうと「親切が仇になったというわけですね。邦子さんも相手にしていたら、休まりませんよ。一応理事会にはかけますが、きっと皆は『そのためにお願いしているのだから、掃除をしておいてくれ』ということになるとおもいますよ」と笑った。

 

確かに、掃除の人が事実を報告してくれるのは有難いが、自分の考えを押し付けるのはおかしい。しかし、今日邦子が感じたのは別のことである。

 

独身や一人暮らしが悪いわけではない。周りの親類や友人、仕事仲間などと交流がある場合は問題ない。けれども、家でも一人、職場でも一人、自分の気持ちをわかってくれる人がいない、もしくは自分と衝突する人がいない、喧嘩の方法も仲直りの方法も忘れてしまった高齢者が増えていないか?我慢や譲り合いの気持、相手を許す気持ちが希薄になり、頑固だったり、怒りっぽかったり、自己主張が激しかったりという新人種が増えてきている気がする。これから他人との接触が減った高齢者がどんどん増えていくけれど、世の中どうなるのかしら?

 

邦子は自分自身もこの新人種の仲間入りをするのかと一瞬不安になったが、そのあと気分を切り替えた。

 

えーい、あの「舞い上がれ」の舞ちゃんのような素直な気持ちを胸に、良くないものは振り切って舞がるんだ!負の方には近づかないこと!あかるいお手本を探していこう!

 

 

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