たまに、どこかでこういう言葉を耳にしますね。


TVドラマとかで。


「こういう自分が嫌い」


て。

そして、それを現実世界でも使う方もいますね。

それが心の中での葛藤なら珍しくもないと思いますが、それを口に出したり態度で現すのはちょっと???なのに当該の人達は「普通」「当たり前」のようにするからショックを受ける人もいます。





何故なら、その嫌いな自分?でなく、その当該者そのものが何かしたり、言ったりした訳なのだから。












何で自分の行いを他人事なんだよ?と思うばかりですよね、「こういう自分が嫌い」という人って。


そして、それを言ってるうちに当該場所から離れたり、人と関わらなくなったり、転職をしたりするパターンの人がいますよね。



ちょっと何言ってるかわからない。



それ、嫌いという自分が表から「見えなく」なるだけで、潜在的に変わらない、解決ではない。

そして嫌いという自分はただただ無思考に感情をぶつけた言い訳に過ぎないことばかり。

そのパターンは、どこかでまた同じこと言うことがある、そしてその人自身の過去にもあったはず。






とりあえず。


当該場所から離れたり、人と関わらなくなったり、転職をしたりをする前に



やることあるだろ

って思います。


その嫌いな自分は、何かしたり、言ったりした訳です。

やりっ放し、言いっ放しはその場所の人達や、その相手などにただ嫌なことぶちまけてヤリ逃げするのと同じなことが見えてないのだろうか。


「こういう自分が嫌い」のツケをその場所やその相手に押し付け、残す者に泥をかけ。乱れたり傷つかなくていい人達が傷つけられて、それっきり。

そして当該の人は別の場所でまた笑うための行動指針、パターンに過ぎないのではないでしょうか。

去った場所や人達に暗い傷を残し、別の場所でまた笑うために。







「こういう自分が嫌い」といって、己が笑うために周りの人を傷つけることに正しさまで感じているように。


















いや、それを

する前にやることあるだろ

と例え言われても、「そんなの知らない」というところまでがパターンですよね、そういう人って。

そのくせ、「そんなの知らない」と全責任を放棄して悪態をもついておいて、イザその場所や人達から因果応報の仕打ちや言葉を浴びせられると憤慨、キレる、果ては被害者の様相となるまでもパターンですね。








難しい、矛盾したことは許されるものではないというのに。
























でも、そんなよくある酷いパターンよりも。























ふざけた私をどうか、お許しください。


アーメン