ドラえもんの道具に、

どこでもドアというものがあります。



そのドアを開けると、
ドアの向こうには入浴中の女の子がいたり、
料理をしているレディがいたり、
銀行の金庫に金塊が積まれていたり、
深夜の猫カフェで猫がはしゃいでいたり。



どこでもドアに限らず、
ドラえもんの道具は便利なのだ。
そして、その道具を使うだけでは幸せになれないのがドラえもんという漫画の良く出来た教訓なのである。



幸せとは、
目的とか手にするものではなく、
扉の向こうにあるものだけで得られるものではない。

むしろ、
お風呂場とか、レディの家までとか、金庫とか猫カフェまで至る道、時間の中にも幸せがあるのだと思う。


かくいう私も
行きたい場所、
会いたいと思う人がいますよ。多分w

出来ることなら、すぐに行きたい、会いたいです。

でも、どこでもドアは売り切れてて入手出来ません。
なかなか行けなくとも、会えずとも、
いつか行ける、会えるなら、その時までの月日を大切に噛み締めようと思います。
きっと、その月日にも幸せはあるのだと思います。


その月日が経過したら

ドラえも〜ん!
と、やっぱり頼みたい俗人なおっさん猫です。