今日もどこかで
争いが。
これは、とある者への励ましの記事である。
争いの止めかたは、たくさんある。
どちらかを殲滅、または屈服させる方法
どちらかが引いて我慢する方法
などなど。
そして組織間、国家間ではなく、人間関係の争いにおいては特別な方法があるのに使わない、使えない、
そんな人がたくさんいる。
それは、
全て白日のもとにさらけ出すこと。
人間関係の争いは、
これで止められる。
ただし、
悪気があったらそれを暴かれる。
間違えていたのなら、それを正される。
正当な結果、という止めかたなので意地をはっていたり、自己満足で攻撃的だった立ち位置の人間「以外」は、きちんと受け入れるはず。
全て白日のもと、というのは
「どちらが正しいのか、白黒つけよう」
という解決方法である。
さて、
自らにやましきことなし!
自分もそうしてる!
な人にはもうご理解いただけてると思います。
この方法のメリットは
理解し合える
ということである。
だが、この方法に則ることができない、やましき者は存在する。残念ながら。
その者の目的が人と人の理解ではなく、
自らの主張を通すことだからだ。
間違ってるとか、正しいとか関係ない。
とても哀れな生きもの、と言わざるを得ない。
前提として「争い」にまで発展させた主張ではなかったか。
たいてい、下らぬ人間はここで
「もういーよ、自分が間違えてたってことで」
と、悪態で隠す。
酷い時には
「細かい」などと、
細かいことも出来てない人間が使う台詞
で自己紹介してしまうのである。
これは、本当に真理である。
細かい、て貴方が誰かに言われたのなら。
細かいことも出来ていないからだよね?
と、返してみるといい。
その者の底が見えるはずである。
ちょっとした気遣いとか思いやり、マナーがあれば、出来たよね?または防げたよね?ということであろう。(「細かい」と口にする人間は、大抵こんな細かいことが出来ていない。自分の稚拙な主張などが自分で見れていない。本当に真理である)
だが目的は争いを止めること、である。
できるならそこから、わかり合えると喜ばしい。
一つの事実を受け入れられない者に、別の事実を語る資格はないのだ。
君は間違えていない。