曼荼羅寺から七十三番出釈迦寺までは0.9km。 霊場間の距離としては、三番目に短い、となります。  勾配はそれなりにあり、出釈迦寺に上がると ああ、体温まったな、となりますね。 真夏は危険を感じる くらいのこともあるかな、と。  日射を遮るもの何もないです。

 

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 かなりの霊蹟でして 寄進も多いのでしょうかね。 どんどん見栄えが よくなる。

 

 

 

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 ちょっとかっこよく、 を目指してみたけど 今二つ・・

 

 

 

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 本堂 御本尊は釈迦如来 

 

 

 

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 大師堂です。

 

 

 

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 花手水

 

 

 

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 この 下の 絵カード。 こちらの霊場の由緒を示しております。 

 

 

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 絵の部分を見ていただくと 上のイラストと相似ですよね。 七歳にして 身投げして、自身の価値を仏に問われたと。 

 

 この話は、映画等で知っていた中身でした。 そして 初めてこの奥の院に上がれたことをきっかけに、 八十八ヶ寺の他の奥の院や、 役行者さんの霊蹟札所とかにお詣りする端緒となりました。  そんなわけで個人的にとても気にしている場所です。  少々古いものですが、過去写真を掘り出しました。  ご覧ください。

 

 

 

 

 2018.8月  1月

 

 左、 我拝師山   右は 奥の院捨身ヶ岳禅定 お堂です。 

 

 

 

 ここまで通常に 車で上がれます。 また、小さめの車でしたら 山門近くまで、許可を得れば 上がれていたと思います。 

 

 

 

 これは 斜度、伝わらないですね。

 

 

 

 いま一つか

 

 

 

 

 


 これは 高野山の僧 作 

 

 

 

 西行さんの ご遺蹟と。

 

 

 

 これは 西行さん 腰掛石。 そのころ、方々でお出会いしました。 最近はたまにー です。去年5月、 岩手県北部、でお会いしました。野田玉川。=伝承らしい    また記憶をたどると 奥様と娘さんの暮らした庵跡なんてのが、 高野の丹生都比売神社の近くになかったかな。

 

 

 

 ここから少しで お堂なんですけど、 その道に。 

 

 

 

 白い石の 像がたくさん。  韋駄天さんと 涅槃釈迦。 どちらも大好きです。

 

 

 

 この時は修繕にかかっていた。 捨身ヶ岳禅定のお堂。 毎月 泊まり込みで護摩などされていると思います。 

 

 

 

 お堂の 右下をくぐり、 進むと 行場に行けます。 しめ縄の向こうは 撮らない を原則としていますが・・  岩場。 鎖もあります。

 

 

 

  これは もう戻ってきての写真。 これ、8月の写真でした。 まちがいなし。

 向こうの峰との間に 深い谷 というか 斜面が垂直に近いんですね。 少しくらみます。

 

 

 

 目を右に転じると 瀬戸の島や、 弥谷寺の山塊 

 

 

 

 多度津の方

 

 

 

 これは もっと見やすい

 

 

 

 

 

 ここから 1月分

 迫力ある 筆致の石碑。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 


 このまま直進すれば、 行場へ導かれる。

 

 

 

 捨身ヶ岳お堂

 

 

 

 これは古いですねえ。 石もちびていくのだなあ。  毎年一回天女が舞い降りてその衣の袖を石に擦ってまた天上へ戻っていく。 その石がなくなるのが一劫(いちごう)なる時間の単位。 インド哲学の時間感覚は なが~い。 

 

 

 

 これは 弥谷寺の山塊が きれいに。 向こうの瀬戸の島まで見えとる。

 

 

 

 これ、上げちゃいます。

 右上、幼大師が 身を投げたとされる所。 座れるようになっており、 座禅をよくされたようです。 恐れ多くて座れませんが、立っていては 目がくらむロケーションです。 すこし後ろから見ましたね。    正念修行なのでしょうね。

 

 

 

 

 アイコンに使ってる  お像。  あれのもとは もう少し古いんです。  

 

 

 

 すごい寒い日でした。 下山して 山門の横のため池。 

 

 

 

 この稿はここまでとします。