前稿までで、 左、西国十四番の部分、 真ん中上寄り 唐堂 三重搭の辺りまで 歩いてきました。 この稿は右寄り 本堂を中心とした区域を見て 締め括りたいと思います。
見えてきますのは 荘重な お堂
境内処々にある 智証大師の著作からの 教示。 如来蔵思想ですね。 また 智証大師 円珍さんは 天台宗の密教的要素を深めた人として著名であり、 この世(現世)の外に仏の世界(極楽)を求めるもんじゃない、と諭されています。
先ほどのお堂 正面から
一切経蔵。 蔵ですね。 こちらは 関ヶ原 西軍総大将(担がれたのですが) 毛利輝元が 山口より寄進しています。
こちらは霊鐘堂。 弁慶の引き摺り鐘 が収まっております。 比叡山の勇猛な僧兵であった 弁慶、戦利品として この鐘を叡山に持ち帰ったが いのう、 いのう という音がするので そんなに 三井寺に帰りたいなら帰れ! と谷底に投げ捨ててしまったとか。 傷も残っています。 さらに この鐘 奈良時代のもので 平将門を倒した 藤原秀郷が、近江の三上山の百足退治で得た品であると。 いわくのすごい鐘ですね。
行者さん のやや濃いご登場です。
小さくてすみません、 孔雀のつがい。 きれいな方が オス。 インドクジャクです。
智証大師は 修験道や熊野古道の整備にも力を尽くしたとされています。 熊野権現堂。
残念なことに 三井寺の名の由来の 閼伽井 と 晩鐘 を見逃しております。
二つの近くの 手水は見つかりました
智証大師 円珍。
金堂。 桃山建築。 ねねさん 秀吉さんご婦人 の寄進。 秘仏ご本尊は 近江宮を営まれた 天智帝(=大化の改新 連想できますか?) 念持仏。
建立 1599年ですかあ。 前年秀吉さん亡。 翌年関ヶ原って いう年。
すっかり 歴史散歩に満腹して 帰路へ。
仁王門脇に。 三国伝来 の三国は 日本(ひのもと) 唐(もろこし) 天竺ですよ~~
仁王門 は室町建築 家康さんが 伊賀から移築したと。 移築多いですね、すごいエコやないですか。
別名 のほう
要塞とか 城郭の趣が 残ります。
鬼子母神さんへの入り口
西国の方には 立派な 長等神社というのもありました。 三井寺の山号は 長等山。
総門はこちら。
パンフからです。 この時期が疏水は最高ですかね。
びわのうみ です。
これはドローンではないかな、 でも 風景写真が 新奇さに あふれつつありますね。
地理オタではあるが 歴オタではない 私め 本当に満腹する霊場でした。