2020.7
コロナの勢いは 特に大きくはならず、 移動の制限まではなされませんでした。 ひと気のない所を 歩くのが 多いわけで 巡拝を続けています。 しかし気が付くと もう仕事の期限切れ が近づいてる。 管理職に聞くと、 事務方に聞いてください さよか・・
話がないのなら 動いてみてもいいか、 と 北の大地に連絡を取るようになりました。
で、結局 その時点の仕事と同じく 副資格 で、念願の北海道での 仕事がいただけることになりました。 そうなれば 四国で取り組んでいることは 一旦 中止せざるを得ない。 また、足の方も慣れない 長距離アスファルト道歩行で かなり傷んでいたので、 この月内に方向性が変わりました。
木・金曜日 2週連続の 大雨警報。 しかし 土曜の朝が来てみれば 予報は回復傾向に変わった。 早朝起き して車に飛び乗り、 先週のゴール地点 奈半利へ。 川はこんな濁流。 しかし晴れ。 あまり晴れ過ぎもよくない・・ 川を渡ると
高知の太平洋岸に ふしぎな町あり。 四国一小さな町・・ 田野町 けっこうにぎやか
遍路ウェルカム な表示。 うれしいですねえ。
岡さんの御殿 でしょうが、 土佐藩東部の巡視の際の 殿様用宿舎だったよう。
白壁の家なんかも多く、産業もそれなりに活発だったものと思われます。
にぎやかな一帯をすぎると すぐに 町替わり。
歩きは こういう形で 表示が続く。
車は 26番を出た後、 ここまで 案内ありません。 右に 馬路ですね。
ここが 土佐鶴さんの 本拠? ではないようで
青松みえたら 山へ入らねばならない。
標高差400m超。 真っ縦 の上に 二十七番。
もうすこしのところに・・ これがある。
下山してきたら もう一息
安芸市には すぐ入っちゃう。
過疎地らしからぬ 鉄道のオーバークロス
ずっと 通ってなかった 大山岬、 行きましょう。
右手、 進むと 安芸の町が見え始める
道の駅があり、 涼みました。 晴れて暑かったですね。 歩き遍路は私のみ。
海がこんな色に。
土佐くろしお鉄道 です。
安芸の市街へ進んでいきます
奈半利へ これで戻り、 終了。 この年はここまで。
次の週、帰省をしています。 今後の四国での 動きを金銭では節約するため、 高速バスを使ってみます。
高速舞子
電車を降り、 五分程度歩くと こんな所に。
長大な エスカレータで
トイレ等あるフロアへ。 ここからは 階段で
乗り場に上がります。 乗り換えに10分見ておいた方が無難ですね。
すぐ 明石海峡大橋です。
この頃、北海道で仕事できることが決まりました。 打ち始めた遍路は 一巡やり切った方がいい、 車に変更 すこし観光的視点も入った 撮影してる かな
二十八番
二十九番
三十番
すぐ隣が 土佐一之宮 土佐神社。 2度目くらいです。 参拝。
立派な森が。 元親公、土佐では 再興の人なのですね。
三十一番 四国霊場の中では 苔寺 No.1 ですね。
自動車参道 駐車場 早めに停めますと
高知港と 市街の良く見える展望所があったのですね。 気づき遅し
三十二番
三十三番 は 今日もここを。 あす、玄峰師ゆかりの 紀州湯の峯 へ行くかも。
境内 際 に 鉄路があります。 ここは 何線になりますか? てっちゃんさん 考えてみてください。
車なら 〇時間の 三十八番 歩くと・・
これは 外せないです 亜熱帯樹が 生い茂る
かつての 流刑の地から よくぞこれだけの人物が出たものです。
三十九番。 飛蚊症のひどくなってきた 私。 再開望みます・・
四十番 大師堂まえ この表示はこの度気づいた。
四十一番
四十二番
四十三番
四十二番との峠がこれ。 次の町、大洲との間も 峠です
別8番 十夜ヶ橋 堤防上2m高の洪水なんて・・・
四十四番
四十五番
四十六番 渡り廊下で 本堂・大師堂 つながる
四十七番 の修行大師
四十八番 山門・本堂
四十九番
五十番
五十二番 本堂と開山堂
五十三番 大分・山口に近い地理が想起されますね。 大友宗麟やザビエル
五十四番 立派な藩校門、移築 奥に本堂
五十五番 山門。 持国天 刀 増長天 戈 という武器の違い
五十六番 修験のあった お寺である証です。 高縄修験。
五十七番 この上は 八幡さんの境内。 豊後 宇佐から都への途上、 海難のため上陸したご縁より 始まる
五十八番 幽境を感じます。
五十九番
六十一番 お寺の標語でないのだあぁ
六十二番 御朱印再開。
六十三番 マリア観音 吉祥天 本尊とかではないですが、 見てみたいですね。
秘宝だそうです。 納めた人が 長宗我部元親公というのも面白い。
六十四番 石鎚大権現の お堂が 左上にあります。
転出の決まった マンションのベランダより
船の何か があったりするかな、と。