和泉市の 松尾寺のお詣りを終え、 次は 泉佐野市の お寺に向かいますが、 位置関係は 下の地図のようです。 

 

   

 

  右が 和泉市の松尾寺、 左が泉佐野市の 七宝瀧寺です。  泉佐野といえば関空です。 が、全く趣の違う 山寺さらには 山修行の修験の 一つの聖地のように 七宝瀧寺はあります!   単立ですね。  真言宗犬鳴派。

 

 

 

 

 

 

 この絵地図はいいですなあ。 車で上がりきった 駐車場にあったかな。 全山の様子をデフォルメも入れて 幽境の雰囲気を出して 書ききってます。   行者さんが 大峯を開かれる前、 葛城二十八宿として開かれた行場の、 本山と自認してられます。 現在も 修験が体験できるようになっています。  

 

 

 

 この日は 現在地とある 駐車場からの歩みだけでした。

 

まず、観音堂が。 おわしますは 十一面さん。 大師御作 とありました。

 

 

 

 

 

 少し、左。 下界からの道へ 戻ると

 こうあり、 犬鳴山へきて 義犬の墓を見ぬは 片詣りじゃ と思って 少しだけ参道を下りました。

 

 

 

 

 

  開山の由緒とも言えますか。 いや、開山は行者さんですね。 今の名前のいわれですね。 猟師がこの地にて 鹿を射んと構えていたところ、大蛇が猟師を襲おうとしているのに 忠犬が気づいた。 わんと 吠えて危険を知らせたが 鹿を逃がしたとして 怒り、いぬのくびをはねてしまった。 その時大蛇はまさに 猟師に襲い掛かろうとしていたのであったが 犬の首は みごとに大蛇をとらえて これを絶命させた。  猟師は犬の行為の意味をわかり、 髪をおろして ここに庵を結んで 余生を送った。 この話が朝廷に伝わり、 犬鳴山の勅号を賜った。

 

 

 

 

先程の 観音堂へ戻り、さらに本堂の方を目指して進むと  これ。 習合です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左へ行くと 本格的な 行場に行けます。 またの機会に。

 

 

 

 

 

 

行者さん

 

 

 

 

 

そう多くない 韋駄天さん 

 

 

 

 

 

 

 

本堂、本坊兼ねたような建物。

 

 

 

 

 

 

 本堂、本坊から そう遠くはないのですが   奥の院。  右後ろに  滝がありますが

渇水気味でした。  滝行は 勝手にやるな~ とありました。 

 

 

 

 

 

 

 

 本堂、本坊へもどり、教本をいただきました。  祈祷をされてたが、 大迫力でした。 ここのところ、 そちらの 気 いただけないのが すこし残念。    もう一息か・・

 

 

 

 一日かけて せめて下から 奥の院まで歩くくらいを できる状態に 早くなりたいです。