草餅をむしゃむしゃした後、 車を出します。 R165を少し戻ると 高架道路に。 中和幹線というそうです。 これは 立派な道。 しばらく走ると 橿原、高田に行けることがわかり、さらには 京奈和道(無料)にも行けることが分かったので そのまま行きます。 碁盤目道路網は どうしても 交差点が増え、進みにくいですが 交通量少な目で イライラはあまり募らずにすみました。 24号橿原バイパスへ 左折で入り、 やがては 京奈和道に入れました。 あとは 根来のインターまで走るだけ。 まずまず安楽に 根来寺 へ着くことができました。 ですが 時間は 3時にかかっていました。

   降りるI.Cを実は間違え、こちらから 入りました。

大きな 大門。 これ、裏側ですよね。

 

現在地からすると ああ、伽藍まだ先だわ。 車にもう一度乗って 近い駐車場へ置きました。

 

拝観料500円お納めして さあ、スタート。 しかし 今回も正面でないほうから入ってました。

初見参の寺社、車が多いせいか 正面から入れないことが多いです。 改めて行かねば。

鐘楼門ですね。 これを見る限り 正面かいなと思いましたが、 

 

こちらは 光明殿 といわれる  覚鑁さん像、 紀州藩の諸氏の尊牌が収まっている所。十分 大きいんですが。

その左手に

行者堂  役行者さんをおまつりする  と

浮見堂 のような 体裁の 聖天堂があります。  まだ時間はありますから マップをしかと見て 右方へ進んでいきました。 人気は 少ないが  ドカーンと 広い一角、高野山のより まだまだ 大きな 多宝塔見つけました。 その奥の 本堂(大傳法堂) も大きいですね。

 

   まずは こちらを。 大日如来 と脇侍 二体。 金剛さった さん 漢字出ませんが どんな仏さんやったかいなー。 このあと 勉強して賢くなっときます。

 

多宝塔は 単体で大きく撮るのを 忘れてます。 16世紀 天文 (三傑=のぶなが、ひでよし、いえやす すべてこの年間に生まれてます)年間のもの。 焼けずに残ってよかったですね。 国内最大にして 国宝。 どっしり感が すごいです。 中の仏像の表現しているもののすごさに 今頃気づいています。  法界体性 なんて 本以外ではじめて 見聞しましたわ。 左手手前は大師堂です。 一人だけで ここの建物 3つとも拝観したのに 気づきがなかった。 覚鑁さんだけを思っていたら そんなことになってしまいました。  また行くさ。

    次は 奥ノ院 覚鑁さん 御廟所へ。  ここは写真は遠方からに しました。

埋葬場所は 塚 になってます。 その前に 拝所があります。江戸期の建築だそうです。

次は本坊で 御朱印をいただきました。 庭園も拝見しました。

 

御朱印は 今回は こちら(覚鑁さん 尊号)でいただきました。

 

  最後に 不動堂へ。 覚鑁さんといえば お不動さんと 同体になる 境地まで達せられていたといわれます。 高野山で 刺客に襲われた際には 不動さんから 血が流れたことに驚いた刺客が逃げ去った などともいわれます。  その故事のゆえに こちらの お不動さんは 身代り不動  きりもみ不動 として とくに 霊験あらたか と信仰されているそうです。

 

 

めずらしい 八角円堂。

 

   たくさん 見ました。 消化しきれないほどです。 規模も大きくて かつての繁栄も偲ばれますね。  時に いくさ嫌い、として 描かれることもある 秀吉に 焼き払われた 本寺は どういう存在だったんでしょう。    

   また 覚鑁さんを 弘法大師のあとに宗門からでた 唯一の哲学者 と言ったり(司馬遼太郎)、 鎌倉新仏教をも 真言教理を使って説明しきった という説もあります。 

   あまりに 大きすぎる テーマにも ご縁を得ました。  正月から 私としては 縁起のええ こっちゃ と思います。  (了)