昨日のこの地図で示しましたるは 真言宗中興の祖 と言われるが 弘法大師に比べると あまり知られない 覚鑁上人 ゆかり の寺院の 位置 になります。 

  奈良県の部分は実は 南へずれすぎておりますね。 も少し上、 桜井市になりますね。  こちら 長谷寺です。   京都市の部分は 智積院 になります。 最後 和歌山県の部分は 根来寺(ねごろじ)です。

  本当に覚鑁さんが住まわれていたところというと 根来寺 になります。 戦国期、財力の上に 武力まで蓄えた 根来寺 は 豊臣秀吉の征討を受け、 ほぼ全山壊滅します。 逃げのびた玄侑によって 京 東山七条に智積院が興されて 智山派となり、大和長谷寺に入った専誉によって豊山派が形成され、 江戸時代に入って根来寺自体も 再建がなされて 今日に至ります。  根来寺は新義真言宗。 そして 広義にとった場合、智山派、豊山派も 新義真言宗となります。 

 

   その新義と呼ばれる所以は 覚鑁の立てた 新教義です。 当時(平安末期)大きな力を持ちつつあった 浄土教、専修念仏 を 大日如来や身口意の三密の新解釈を提示することで 包摂しました。 鎌倉新仏教の意義を認めつつ 全く新奇なるもの、異質な宗教ではないことをはっきり示しました。 その学問上の優位もあって 戦国期に大勢力となったともいわれます。       自分のためもあり、かたい、難しい所から入ってしまいました。 

 

   巡った順ですが 智積院→ 長谷寺 → 根来寺です。 自動車。 京都を一番にしたのは 正解だったと思います。 渋滞らしい渋滞に遭わず、 ちょうど8時間労働タイムで回って来れました。 360km。 四国に比べれば短いですし、高速代もそんなにかかっていません。

 

   智積院です。 参拝者10人くらい。 ゆっくり見て 所々で勤行もできました。

 

まだ新しい本堂。 大日さんを見れます。

 

こちらは 大師堂です。

 

これは明王堂。 覚鑁さんご縁のお不動さんだそうです。

 

境内の一番奥に 覚鑁さんほか 神さんたちも お祀りされてる一角がありました。 

 

この密厳堂の右に

お社もありました。 柏手いい響きでした。

  おん あびらうんけん ばざら だとばん  ですね。

 

 9時の開扉 ちょうどに入り、45分ほどの参拝でした。 次の長谷寺、 12時のほら貝を 舞台で聞くことになります。 遠かったですね。