旧日本陸軍によって強制連行され飛行場建設工事に従事させられた朝鮮人労働者の遺骨の発掘調査が3日、宗谷管内猿払村浅茅野の旧共同墓地で始まり、足や腰の骨など4体分の遺骨が見つかった。
「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」が05年に試掘を始め、06年には12体の遺骨が見つかった。

作業にあたる北海道大の加藤博文准教授は「今回が最後となるはずだったが、考え直す必要もある」と語った。
今回の調査は工事に従事させられた韓国在住の池(チ)玉童(オクトム)さん(82)が立ち会い4日まで行い、5日には追悼式と報告会が予定されている。
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20090504ddlk01040128000c.html



>今回が最後となるはずだったが、考え直す必要もある
お金になりそうなのか。ほーほー。
最後に大物引き当てるなんて、ゴッドハンドだな。
事実:骨が見つかった
    ↓
労働者の骨が見つかった
    ↓
朝鮮人労働者の骨が見つかった
    ↓
強制連行された朝鮮人の骨が見つかった
じゃねぇの?
そりゃ墓地からは骨出るわな。
しかも、共同墓地ってちゃんと埋葬されてるじゃん。
危険手当の米7合目当てに、自発的に参加していたくせに、強制連行されたとかぬかすんだもんな。
売春婦の話もそうだが、あいつらほんとにこんなんばっかだな。
少なくとも、「国家」が犯した罪を、後世その国に生まれた者が永遠に負い続ける理由などない。
国家の罪は、国家間条約によって罰せられるべきもので、それがすんだ後まで、個人レベルで道議責任を追及されるいわれはない。
そもそも「国家」の罪を、国民一人ひとりが負わなければならないという考え方からして、国家が無条件にある人間のアイデンティティになるという「国家中心主義」の古い考え方でしかない。
国家は巨大な保険機構にすぎず、気にくわなければ乗り換えることもできる機関でしかない。
ある人間が、ある国家に生まれたという事は、単なる「運」によるものにすぎず、誰もこれを管理できない以上、恩着せがましく「生まれた国にすべてを捧げよ」と要求する権利もない。
国家の罪を(選挙による権利←→義務が生じていた世代とは別の)未来の国民にまで広げようという考え方は、国家中心主義の告白でしかない。
誰かがそう思い続けるのは勝手だが、他者に押しつけるのは不当であり、不愉快な行為でしかないのだよ。
おまけに、朝鮮に対しては罪と言えるほどの事はしてない。
まったく、エラが刺さるからこっちくんなよ。
今なら自由に帰れるよ?





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