旦那さんと街歩きが大好きな私は、ブラタモリが大好きな番組。

 

タモリさんも、街歩きが大好きなことを公言していますよね。

 

ブラタモリを見ていると、古地図と地形に着目して、

 

そこに住む習慣や風習、建物、食べ物・・・

 

タモリさんの頭の回転の良さと物事への探求心が素敵で、

 

いつも毎回見てしまいます。

 

ブラタモリ好きの方いますか?(笑)

 

放送の最初の頃は、東京都内がほとんどでしたが、

 

数年前から、全国をブラタモリするようになり、

 

特に旅で訪れた地域が出ると、

 

以前に訪れた旅先をもっと深くしれて、

 

さらに良い思い出に変わるのが不思議です。

 

先日のブラタモリが2回に分けて、伊豆の天城越えでした。

 

もう懐かしいというか、一番辛い時期を家族と離れて、

 

一人孤独にがんばっていたことと重ねてみていました。

 

実は、私が20代に入ったリハビリ施設は、天城山麓にある、

 

慶応病院大学月ヶ瀬リハビリテーションセンターでした。

 

あの頃は、リハビリ入院は1年以上は可能だったので、

 

結局、月ヶ瀬に1年半ぐらいいたのかな?その後、都内のリハビリ施設に3か月で家に戻りました。

 

今では考えられない入院の長さです。

 

現在は、閉鎖されてなくなってしまったんですが、

 

目の前に狩野川が流れて、夏には鮎釣りの風景、

 

冬は雪が降ると、水墨画のような風景・・・

 

それはそれは美しい風景でした。

 

あの頃は、辛くて寂しくて、リハビリの意味も見失い、

 

でも、時間の流れは、あの土地に身を置いていた時期が、

 

輝かしくも思えてくるのです。

 

やっぱり頑張ったからかな。

 

都内にもリハビリ施設は沢山ありますが、

 

慶応病院に入院していたということもあり、東京から遠い場所になりました。

 

この時期を、今この障害から逃げてしまったら、

 

おそらく一生逃げて、甘えて、思うようにいかないことを、

 

人のせいに、社会のせいにするような人間になってしまう。

 

だから、親はたった一人、周りに何もない山奥の施設にいれたみたいw

 

私も心が未熟だったから、何度も東京の両親に泣きながら、

 

帰りたいと訴えても、「帰ってくるな!!!」

 

優しいい言葉をかけてくれるのかと思ったらこの言葉。

 

突き放されました・・・。

 

あの頃は、突き放されて意味がさっぱり分からず、悲しかった。

 

でも、今になって突き放してくれて本当に良かったと思っています。

 

あの時代は、バリアフリーという言葉もあってないようなもの。

 

都内でも駅にエレベーターもスロープもほとんどない時代でした。

 

あの場所に入院して、伊豆の踊子の川端康成、天城越えの小説、松本清張、楽曲の石川さゆり

 

作品の中の、天城トンネル、浄蓮の滝・・・・作品の言葉の心深さに触れることができたことは、

 

とても貴重な経験でした。

 

あの頃は、辛い経験の中でも、楽しむ事や、学ぶことを忘れていなかったんだな。

 

携帯もネット無い時代でしたから、よく頑張ったね ← 私(笑)