八幡浜へ遊びに行く | 新労社 おりおりの記

八幡浜へ遊びに行く

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八幡浜市

 

急に八幡浜に行くことにしました。伊予松山に帰省中のことです。いろいろな列車を乗り継ぎ、行ってきました。伊予の大阪と言われ、豊富な水産業、真穴みかんなどの産業の集積地で、九州にわたるフェリーの連絡もあり、交通の要衝、ずいぶん長い商店街のアーケードもあります。しかしへき地指定され、高速道路も通らず、通過地だったこの町を、伊予の国の南の予讃線を乗りがてら、ちょっと歩いてきました。

 

 

まずは、普通列車で乗りとおします。三秋峠、夜昼峠、法華津峠など、峠の多い南予讃線ローカルは、2台エンジンのキハ54が主力です。

 

 

ロングシートですが後部の乗降に迷惑にならない端に陣取って、運転室片手の“展望台”に立ったりします。21mの車内は10数人の客で、長距離乗る方も2~3人いました。青春18きっぷのシーズンですからね。

 

 

松山平野を快調に飛ばし、三秋信号所跡をかすめると、穏やかな瀬戸内海です。有名な下灘駅には数人の若い女性が降りました。伊予市と伊予長浜で、特急と普通列車の交換がありましたが、いずれも2~3分の停車で数十年前のように30分40分平気で停車というのは、少なくなったようです。

 

 

大洲市に合併した伊予長浜からは肱川が車窓の友になります。とうとうとした大河で、肱川あらしが有名ですが、今日はありません。

 

 

喜多灘駅・伊予白滝駅には、宣伝の大きい看板がありました。五色浜は平家の落人伝説、るり姫は戦国の落城秘話ですが、いずれも観光資源に昇華されているところは興味深いです。

 

 

かつての内子線の分岐駅であった五郎駅。落ち着きのあるいい駅です。構内が広いのは、昔は上下列車の交換設備もあり、内子線の分岐駅だったのです。40年以上前、歌手の野口五郎ブームで、入場券が売れたころの面影はありませんが、残っている内子線ホームがかつての殷賑を物語ります。

 

 

大都市の大洲を過ぎると八幡浜まではもうすぐです。下画像は大洲城。伊予平野で普通列車と交換、夜昼トンネル(霧が「寄る干る」)を超え、千丈で上り特急列車をやり過ごすと八幡浜です。

 

 

雨がチョボチョボの天候で、遠くの観光地はムリなので、商店街を目指して歩きます。いろいろな昭和の商店が谷に立ち並び、その山すそにも宅地がある感じの市街です。商店街は丸亀や川之江などと比べると、廃れ方はそんなに厳しいものではない感じでした。八幡浜の商店街は、谷の奥の駅から、浜の港までありますが、駅寄りの方より、港寄りの方がにぎわっているところが印象的でした。

 

 

河口には八幡浜港が広がり、九州にわたるフェリーがいます。みかんや水産物を商う漁港もあり、「伊予の大阪」と言われた殷賑ぶりが伝わってきます。国道から一歩外れてみると、敷地の広い家屋敷もあり、店や会社もそれなりにあるのです。

 

 

二宮忠八の生誕地や、代官所跡など、市街で見るべきものは見て、駅に戻ります。近所に伊予鉄バスの時刻表があったので見てみると、松山行きは1日3便です。8往復を数えるJR特急「宇和海」にはかなわないようで、まず普通列車で大洲まで行きます。大洲で「宇和海20号」に乗り換え、あっという間に伊予市まで。5分前に出た伊予長浜経由(海岸回り)の普通列車より、44分早く着きます。車内は6割ぐらいの入り。かつてこの区間は自転車で走ったこともありますが、特急料金は520円。

 

 

伊予市からは、JRを離脱して、隣接する郡中港駅から、伊予鉄道の郊外電車郡中線に乗ります。3両編成先頭の車内は私と後1人だけ。郡中、松前と主要駅でポツリポツリ乗ってきたかと思ったら、6つ目の古泉で、家族連れや若い人がどっと乗り込んできて、大入り満員になります。郊外型のショッピングセンターがあるのですね。

 

 

結構な入りで松山市駅まで。郡中線の列車は横河原線や高浜線と直通運転しません。ここからバスに乗ろうと思いましたが、これがなかなか来ず、市内電車に乗って道後温泉まで行きました。市内ではバスの方が電車より速いのですが、夕暮れ時のラッシュでは電車も健闘しますし、バスにずっと乗るより、電車から乗り継いだ方が運賃も安いのです。東京23区では、JR一本より、営団や私鉄+JRの方が郊外に行くには安いのと似ていますね。

 

 

下画像は新型電車です。真四角の角張った電車より流線形になった分、定員は減ったようですが構造は変わりません。バリアフリーですが、運転台は高いところにあります。道後温泉まで来ると、バスとの差はますます大きくなったようで、30分も待つよりはと、タクシーで帰ってきました。

 

 

“遊び”に行くにしては何をやったかわからない旅行になりましたが、年を経るにつけ、名所旧跡目指して移動するというものより、移動の途中の何気ない変化や歴史・地理を楽しむ、また、目的地では知らない街の空気を感じることで満足してくるのです。ただ乗り物好きなところは変わりませんようで(笑)