私は5歳頃に

親から自転車をもらいました。自転車



ある日突然、

家の前に

自転車があったのです。驚き



私の嫌いな色の、

新品の自転車です。



そして父親に、

男でも女でもこの色なら

問題ないから

これにしろ。

と言われました。


主張が意味不明ですが笑笑、

ちなみに黄色です。

そうですね、黄色はたしかに

男女どちらとは言い難いかもしれない。雛人形




私は笑顔で

うんにっこりルンルン」とをつきました。


そしてまた、得体の知れない

ストレスを胸に抱えて

をこらえてました。



私は

好きな色を買ってくれないから

ショックだったのではないです。


お金がないからこれ使って💦とか

懸賞で当たったからコレ使って!💦

とか…

不審者に狙われるの嫌だから女子っぽいのやめて💦

とか…


なんでもいいし、

一緒に買いに行って

やっぱりこの自転車にしようか、

色は微妙かもだけど…。

とか。


それなら

問題なかったんです。



私が親の元に産まれて

20年間辛かった理由は

お前は。

の決めたことや

決めた物なら

全て

嬉しいよな???


嬉しい以外は。

許せねぇから。




という状態を作られて

言葉をかけられるのが

すごく辛かった。



黄色は、

男女問わず

使える色だろ??

俺正論だろ?

だからお前、

これにしろよ。

わかったか?


そうです。

黄色はユニセックスな色です。

黄色は何にでも合う色だし、

とても無難な色。

正論です。 

でも私には不正解だよ、お父さん。




こういうことを言えるようになったのは

35歳の今。




黄色嫌いなのわかってる、

でもこれしかないの……💦

という状態なら…

ストレスがなかったんです私は…ネガティブ

反抗したかったのではなく

ココロを分かって

欲しかっただけだから。




親になった私から、

私の親だった2人へ、

言いたいことがあります。



あなたたち両親は、

私が産まれてから

1度でも

私の好きな色を

聞いてくれましたか?


何色が好き?と、

1度でも聞いてくれましたか。



残念ながら

一度もなかったです不満よね。



私の記憶が正しければ

一度もないはずです。





私は、親に対して

真っ赤なウソをつき続けて立ち上がる

大学までいき、卒業しました。卒業証書桜



そして度重なる暴力と優しさの繰り返し

軟禁されてて家からは出られない。



雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶


そして複雑性PTSD(複雑なトラウマ)という

虐待後遺症が残り、成人してから

勤務などはできなくなりました。


毎朝、出勤することが

難しくなりました。



22年間は

まるで

誘拐された幼い自分と

誘拐したオトナ達で

同居していた状態。


私にとっては

成人して

イキナリ社会に出て

うまくやることが

とても困難で難しい部分がありました。



だから今も、

ひとりで仕事をしている、

自営業者です。




ちなみに私、黄色も

今は大好きですよスター立ち上がる

なんの色を合わせても

組み合わせた色をジャマしない、

魔法の色なんですよ。