おはようございます
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父親の喉頭ガンが発覚してほぼ治癒は不可能と診断されて今日、緩和ケア科の診察と病棟の見学の為に母親、父親を伴って病院へ連れて行く事になっておりますが、冷たい冷酷だと思われるかも知れませんが自分の中では迷惑でしか無いです
ウチの家は母親と二人暮らしだった。。。
それは幼少の頃から母方の祖父祖母らと一緒に住んでいたと言う記憶。
父親の存在記憶と言えば幼少時『母への暴力、止めに入った僕にも暴力』と言う思い出したくない記憶しか無いです。
その後〜離婚し、母子2人で口蓋裂の治療を乗り越えて紆余曲折にて今がある。
十数年前、ひょんな事から籍入れずに同居する羽目になりますが、無論当時自分は“ニート状態”だった訳で父親との口論、暴力沙汰色々あって再び父親は家を出た。
その後ギャンブル依存が祟ってアパートの家賃滞納と言うお粗末な結末で再び家に転がり込んで来て今に至る感じ。
そして去年、自分の中の何かが弾けた。初期の認知症発症、糖尿病の悪化、絶えぬ母親との口論。家に居てストレスMAX
それで自分もおかしくなると思って勇気を振り絞って行動に出た就労継続支援B型事業所への相談&見学に。
その後、色々な過程を経て自分が『知的障害』持ちであった事が判明し療育手帳を取得し通所可能になり多少はストレスから開放されると思いきや、父親の低血糖騒ぎで救急車🚑騒ぎ4回もあり。と言うか自分も母も振り回されっぱなし
で、昨年12月にとうとう堪忍袋がキレて父親を家から追い出した(南丹市に居る実の姉の所まで送った)
約2ヶ月間、父親が家にいない空間、時間はとっても新鮮でしたし、有意義でしたよ
がしかし
実の姉の所からも追い出されていたらしい
※姉への暴力沙汰を起こしてる過去があるので
そこから南丹市の市役所から社会福祉協議会に一時保護されていたそうで借受されたホテルで過ごしていたそうな
当然ウチの家にも(実の息子だから)連絡があってここに至った状況説明やらあり、ウチではもうムリ。と話してその後は音信不通でしたが成年後見制度の適用が難しくなり困り果てていたそうで、父も謝罪&懺悔し、再び一緒に暮らしたいとかなんとか🙄
就B型事業所への通所も順調でしたので精神的にも落ち着いていたので渋々社協の方達との話合いで戻す事になって帰って来て落ち着いたら『ガン』ってナニ?
しかも末期でステージ4。脳転移、肺転移....余命宣告2〜3ヶ月
何処まで迷惑掛けるねん
認知症も進みまくって糖尿病の薬の管理、インスリン注射、自己血糖測定すら出来ません。
訪看さんにお世話になってますがセクハラしてるっぽい
タダでさえ自分の判断がし辛い僕ですからそこに父親のガン闘病の重大な決断やら委ねられてもムリですムリです
迷惑でしか無いです。
ハッキリ言って今日の病院へ行くのも嫌嫌です。せっかく今月は自分の通院も無くて7月フル通所出来ると思っていたのに。。。。
だったら、早く緩和ケア病棟に入院して貰うのが一番かなって。母の心労も心配ですから。
今まで父親らしい事して貰った経験ZEROです
詳細はまた追ってお知らせします。
ではまた明日