札幌から同じルートで帰り、俺たちは、再び、青森に降り立った。NUFFTYとDJ CODEは、金が尽きたため、この街でお別れする事になった。グループは、RAMB CAMPの三分の二になった。番長やカワイさんと少し遊んで、俺たちは一路、東京を目指した。アキエの姉ちゃんが足立区に住んでいるという事で、そこを目指した。

BIG FACEの爆走運転のため、あっという間に関東に入った。俺たちのバンは、長時間の運転により、煙を吐いたり、調子が悪くなっていたが、まだまだ良く走っていた。東京について、アキエの姉ちゃん家で、髪を切ったりした。BIG FACEはモヒカンになった。夜はカラオケに行った記憶がある。その後BIG FACEが泥酔して、バンを路肩に乗り上げたりした。みんなガハハと笑っていた。まだまだユルい時代だった。駐車場代もバカにならないため、BIG FACEは河原にバンを止め、住むようになった。河原は、金八先生のオープニングの河原みたいだった。実際そうだったのだろう。何本かライブをこなし、ある日BLASTのデモコーナーのライターの磯部君と、古川さん、AZZURROさんに会う日があった。確か中華料理屋で、インタビューをしてくれたように記憶している。その後は、MSCが主催のPARTYに連れて行ってくれて、フリースタイルをした。古川さんとじっくり話し、信用してくれたのだろう、破格でMPC3000を売ってくれる事になった。これでまたウェポンが増えた。俺は滅茶苦茶はしゃいだ。しかし東京滞在は、滅茶苦茶お金がかかる。歩いているだけで、一万円が消えて行くようだった。最後のライブの日が、近づいていた。

俺は札幌で、密かに彼女を作っていた。その彼女が、出張で東京に来るという。俺は彼女を、熱海に連れて行った。東京から短時間で、いい感じにしなびた旅館街に辿りついた。俺たちは浴衣を羽織りながら、街を探索した。海も綺麗だった。俺たちが泊まるのは、斜めに曲がったような古びた旅館だった。金は無いが、幸せだった。その間に、BIG FACEとアキエは、富士山を見に行っていた。アキエはカメラマンとしても有能で、パンチが効いた写真を、各地で撮っていた。富士山の写真にはパワーがあった。

ツアー最後のライブ。といえど、淡々と終わった。イルスラングにベストライブなんてない。俺たちは各自好き勝手にやっていただけだ。血は繋がっていないけど、俺の育てのおばちゃんがその時東京に住んでいて、LIVEを見に来てくれて、終わった後に、ご飯を御馳走になった。俺たちはそのまま、福岡に向かう事になる。東京からの去り際に、古川さんがMPC3000を持って来てくれて、現金と交換した。

俺たちはまた、南に向かって、バンを走らせた。途中で広島で降りて、ビジネスホテルで一泊した。その日だけは贅沢に、各自一部屋を取った。夜はKROW君や、松君と遊んだ。ぐっすり眠って疲れをいやし、バンを発車し、いよいよ今日は福岡に到着だ!俺たちは地元が恋しかった。カーステからは、各地でGETしたGOOD MUSICが鳴り響いてる。

バンは遂に、北九州の関門海峡を抜けた。HOODまで、もう少しだ。

福岡に近づくにつれて、バンの調子が悪くなっていた。黒い煙を吐いていた。気持ちゆっくり走っていたが、太宰府のBIG FACEの車庫に着く頃には、バンは全く動かなくなった。俺たちのバン”CARAVAN"は、全ての仕事を終え、永遠の眠りについた。

 

俺たちは、福岡に帰還し、解散した。

 

これがILL SLANG BLOW'KERの、俺の視点での旅の記録だ。

 

他のメンバーももっと、面白い事をしているかもしれない。

 

本当に面白い時には、記憶が飛んでいるから、書き残した事もいっぱいあると思う。

 

約三ヶ月、カッコイイ事ばかりじゃあなかった。グダグダな日々もあった。

 

だけど、俺は旅に出て良かったと思う。

 

みんなも冒険の旅に、出てみないか?

 

人生は、一度きり♬

 

 

 

TO BE CONTINUED...→