横浜に行く途中に、大阪にも立ち寄った。今はストリートの仲間がいるので長居するだろうけど、その時はいなかったので、とりあえずアメ村を散策して、MIX TAPEをGETしたり、タコ焼きを食べて、またハイエースバンに乗り込んだ。

俺は免許を持っていなかったので、好きな時に起き、好きな時に寝た。目が覚めた頃には、横浜に着いていた。不思議な建物と、海が印象的な街だった。横浜滞在の世話をしてくれたのは、タカシという男。彼は一軒家に家族と住んでいたので、また俺たちは、居候させてもらった。俺たちは毎日、昼過ぎに起きるという怠惰な日々を送っていたが、毎日ご飯が用意されていて、幸せだった。俺たちは毎晩、クラブに繰り出しては、ナンパに励んでいた。イルコミュニケーションというやつだ。ある日ライブ出来る日がたまたまあって、軽くライブさせてもらった。確かLIZARDという箱だったと思う。そのイベントに、若かりし頃のサイプレス上野とDJロベルト吉野も出ていた。名前が狂ってるな〜と思った。PARTYで女の子をGETして、公園で黄昏れる。船の汽笛がボーッっと鳴り、イルミネーションが輝いていた。

横浜での日々は、あっという間に過ぎて行った。本当にタカシが良くしてくれた。また旅立つ前日、タカシのお父さんから、旅の軍資金まで頂いた。タカシとは今でも繋がっていて、後の俺のソロのツアーでも、お宅にお邪魔した。毎日の手作りご飯、本当に美味しかったです。ありがとう。おばあちゃんと家族にPEACEを!

そのぐらいの時に、BLAST最新号が出ていたのでGETすると、デモ紹介コーナーで、ILL SLANG BLOW'KERが特集されていた。Nasが表紙の号だったので、俺たちはブチ上がった。ここから風向きが徐々に変わって行ったように思われる。確かに親不孝通りで鳴っていた、俺たちの音に世間が注目する事になった。

横浜を後にし、俺たちは東京の最初から決まっていたイベントに向かった。失礼な話だが、まったく覚えていない。

けれど東京のラッパーから、「WENOD」というUNDERGROUND HIP HOP専門のショップがあるという話を聞いて、大量のCDRをコピーし、卸してもらいに行った。

YURAは店員の人と即仲良くなって、色々遊びに行っていたようだ。WENODでスラムステンのイッペイちゃんというラッパーとも仲良くなり、泊まりに行ったりしていた。WENODは今実店舗は無くなってしまったが、当時は色んなARTISTやHEADSが集まり、とても活気があった。CDRも、良く売れた時代だった。

青山蜂という箱でもLIVEした記憶がある。ライムスターのDJ JINさんがいて、ILL SLANGのCDを渡した。それは後に、彼のMIX CDに入る事になる。

 

俺たちのツアーには、もうひとつ、目的があった。車内でよくかけていた、MIC JACK PRODUCTIONのサンプル、札幌を拠点とする彼らに会いに行くという目的だ。そのCDは、アキエがツアー前の北海道旅行でB.I.G.JOE本人から受け取っていた。そのサウンドはDOPEでMC達もみんなILLだった。北にも、本物の音楽をMAKEしているヤツラがいる!俺たちは興奮していた。しかしまだ東京、まだまだ旅は続いて行く。

 

俺たちは東京を後にし、一路、東北を目指した。