制作も順調に終わり、BIG FACEの車屋のツテを頼り、俺たちは格安のハイエースバン"CARAVAN"をみんなで割り勘して買った。確か、10~15万ぐらいだったと思う。

俺たちはそのバンに、スポンサーになってもらう代わりに、落書きや、ステッカー等を貼らせた。街の先輩や、ダチ公達の手により、あっという間に、CARAVANは落書きだらけのスラム・バンになった。

今はJIUCEというBARになっているDUE DUEという小箱で、壮行会みたいなPARTYを街の先輩やダチ公達が開いてくれた。

俺たちもLIVEをしたはずだが、あまり記憶に無い。きっと呑み過ぎたんだろう。

街を飛び出して行く俺たちを、みんなが送り出してくれた。

 

次の日のLIVEは飯塚。体育館でのイベントだったが、客は5~6人しかいなかった。

中々サムイLIVEをかまして、俺たちは速攻ホームシックになり、一旦福岡に戻った。体制を立て直し、再び出発したのは、何日か後だった。旅に出る面子は、マネージャーのアキエ、DJ CODE、BIG FACE、NUFFTY、YURA、FREEZの6人。みんなの荷物を載せると、バンはパンパンだった。

俺たちは、NUFFTYのダチがいるという広島へ向かって、車を発進させた。

道中みんなそれぞれの好きな音楽が、カーステで鳴り、長時間ドライブも楽しかった。俺たちは若かった。22歳ぐらいの時だった。NUFFTYとCODEとアキエは、更に若かった。これから始まる物語に、みんな純粋にワクワクしていた。

 

広島に到着。NUFFTYのダチと合流する。B-BOYで、いいヤツだった。彼は中々広い家に住んでいたので、みんなで居候する事にした。その家でアキエがILL SLANG BLOW'KERのCDRと共に、手紙を書いて、BLASTのデモコーナーに送りつけた。その夜は美味いもんを食って、就寝。次の日から、俺たちの活動が始まった。広島の繁華街、PARCO前の公園に陣取り、YURAが持ってきたBOOM BOXにILL SLANG BLOW'KERのCDを入れ、永遠にループさせながら、爆音で鳴らし、公園でCHILLってるみんなに向けてRAPをカマし続けた。一通りパフォーマンスが終わると、焼いたCDRを持って、みんなに売りつける。毎日そんな事をしていた。するとある日、GANGSTAなやつらがこっちを見ている。やべ〜怒られるのかな?と思っていたら、CDを買ってくれて、自分の店に連れて行ってくれた。それがKROW君と松君、見た目はサグいが、とても優しい人たちだった。KROW君はラッパーだ。彼らとは、今でも交流がある。KROW君たちにLIVEできる箱を教えてもらって、LIVEもさせてもらった。広島の夜は独特なムードがあった。ネオン街も、ギラギラだ。

公園では色んなヤツラと知り合って、ゲイらしき怪しい男にスナックに連れて行ってもらったり、ヤクザが強いイメージがあるが、警察も含め、俺たちの音を止める輩はいなかった。CDRは、かなり売れた。

 

広島に二週間ぐらい滞在して、次の目的地を決めた。今度はYURAの後輩の家があるという、横浜だ。俺たちは泊めてくれた彼に感謝しながら、再び、ハイエースバンに乗り込んだ。