それは多分、1999年の出来事だった。当時ノストラダムスの大予言により、

世界が終わるとされていた年、俺とBIG FACE、O-KINGと、イワオは、RAMB CAMPを結成した。うだつの上がらない毎日を、どうにか変えたかったのだ。

俺たちの初ライブは、今は無き親不孝CLUB ZOOMの、「チェリーB-BOY」というフザけた名前のPARTYだった。一生懸命練習したものの、見事に滑った事を覚えている。何もかもが手探りだった。BIG FACEをカールカナイの専門店に連れて行き、全身B-BOYに仕立て上げたり、Wu-TANG CLANをみんなで聴きながら、集団MCとしての道を模索していた。俺の機材はSP202と、今も持っているMC-307というシーケンサーだった。俺はRZAのようになりたかった。汚くてFATなTRACKを量産した。

当時はカセットMTRで、毎日のように各MCの曲を録っていた。だんだんHIP HOPの深みにハマって行くに連れ、高校からのマイメンだったイワオは自然に脱退してしまった。俺たちは、「VINYL LINE」というSTREET ALBUMを残した。音質は劣悪だったが、ソウルフルなALBUMだった。ジャケットは、大名の肉屋に行って、高級佐賀牛のデッカい塊を写真にとり、当時は洋服屋をしていたJ-ZOさんにデザインをお願いした。

当時地元でイケてたMCは、SUGER THE GIANという先輩と、96UNDERGROUNDという後輩だった。二人とも、今は老舗クラブである、STAND BOPを中心に活動していた。二人はフリースタイルも上手く、俺たちの憧れだった。

さんぴんCAMPなんて、目もくれていなかった。常に俺たちの地元が一番だと思っていた。

俺はDJからクラブ活動を始めたが、PITCHを合わせるという事が出来なくて、MCという道に入った。ジャンル問わずCLUB MUSICが大好きで、DANCE CLASSICS、HIP HOP、HOUSE、TECHNO、JUNGLE、REGGAE、FUNK、JAZZ、SOUL、ROCKなど、金があればレコードにつぎ込んでいた。TRACKを作る時は、それらからサンプリングした。

俺の部屋は物凄く汚かったが、当時は鍵をかけないスタイルだったので、バイトから帰るといつも変なやつらが10人ぐらい待っていた。普通のマンションだったがDJ SETを組み、爆音を鳴らし、よく苦情が来ていた。警察も来た。

そんなFUNKYな日々を過ごしながら、LIVEもこなし、だんだんコツが掴めて来た。

俺たちは荒削りながらも、最初からプロ志向だったから、何が足りないか、いつも考えていた。そんな時、STAND BOPでアキエに出会った。会った瞬間から、運命的なものを感じ(エロい意味では無い)、彼女に俺たちのマネージャーになってくれないか?と頼みこんだ。家にも連れて行って酒を飲まし、土下座して、再度マネージャーになってくれと頼んだ。彼女はうんと言ってくれた♬

それから俺たちはPARTYを打ち始めた。「BASE」というPARTYだ。当時MIC持ちに飢えていた新世代のラッパー達と、REGGAE Deejay達を集めて、REGGAEとHIP HOPの融合的PARTYを開いた。

その当時、先鋭的なHIP HOP PARTYをしているNATURAL9NATIONというクルーがいた。なんで仲良くなったか忘れてしまったが、そのクルーに、YURAというMCがいた。方向性は違ったが、俺はヤツをRESPECTしていた。なにしろ、SKILLが飛び抜けていた。何より最高に面白いヤツなんだ。それからN9Nを「BASE」にGUESTで呼んだと記憶している。YURA廻りのPARTYがBUTTERFLYというクラブで平日行われていたので、OPEN MICでKICKしに行った事も覚えている。流れている音は、常にREAL UNDERGROUNDだった。

月日は流れ、俺たちは着実に、場数を踏んで行った。STAND BOPのDJ RYOTAさんのBIG PARTY(今でもある)「RUDE」に、LIVEで抜擢された。メインストリームのPARTYで、沢山のお客さんを前に、LIVEをさせてもらって、俺たちの地元での知名度が上がったのは、この頃のおかげだろう。「RUDE」の時は、当時あったQUEENS SOUNDというレコード屋でSOUTHとかのこれでもかっていうぐらいイケイケのVINYLを買って、LIVEにのぞんでいた。

そんな日々にも終わりがやってくる。

俺たちは全国区で勝負したくなっていた。RAMB CAMPでデモを作り、BLAST(当時はフロント?)に送ったら、デモ紹介コーナーで取り上げられた。俺は新しいものを作りたい衝動にかられた。YURAと俺の家で密談した。もちろん大量のアルコールと共に。YURAは何日か後、怪しい若い男を連れて家にやって来た。男はRAPをしているという。MC名はまだ無いという。俺とYURAは一晩かけて、男にMC NAMEを授けた。「NUFF RESPECT」の「NUFF」と、男の姓名のイニシャルを合体させた。それがNUFFTYだ。その時点で、俺はBIG FACEに相談した。新しいCREWを作るから、一緒にやろうと。このプロジェクトは、最初から、全国ツアーありきの発案だった。O-KINGは仕事があったため、誘わなかった。

俺たちは四人でグループ名を相談して、これだ!ってなったのが、「ILL SLANG BLOW'KER」だった。

俺たちは早速制作を開始した。俺はカセットMTRの限界に、挑戦しようとしていた。

 

★一曲目「CAVE FUNK」は、またもYURAが呼んだ奇才、ONO GOD作のFUNK TUNE。この時はTRACKを貰っただけで、会ってさえいない!

 

★二曲目「BIG DA HUSTLA」この曲は俺のTRACKで、BIG FACEを主人公にしようとした曲。

 

★三曲目「BLACK POKKAS」この曲はBACHI52というもうこの世にはいないマイメンのTRACKで、カオスミキサーをいじり回して出来た曲。「BLACK POKKAS」というタイトルは当時ガテン系の仕事をしていたYURAと、BACHI52の衣服から。

 

★四曲目「ONE ON ONE」は、どうしても甘い曲を入れたかった俺のTRACK。NUFFTYがジゴロ魂を唄っている。サンプリングはYURAから借りた、MIX TAPEからしている。

 

★五曲目「CARAVAN」この曲は、民族音楽からサンプリングした俺のTRACK。

後日手に入れる、ハイエース”キャラバン”からタイトルを取っている。旅をイメージした曲。

 

★六曲目「EWSN」これはイケイケな曲が欲しかったので、MC-307だけで作った俺のトラック。THINK TANKにインスパイアされた曲でもある。

 

★七曲目「ANGIE」この曲は当時聴いていた、アンジーストーンの一曲をサンプリングしている。コーラスはMIO。MIOは当時から最高だった。

 

★八曲目「B in 親不孝」この曲はYURAがレコードを持って来て、確かそれを45回転で超ロングサンプリングした。最高の一曲。

 

 

ILL SLANG BLOW'KERのレコーディングは、確か二週間ぐらいで終わった気がする。

さあ、ここから、俺たちの旅が始まる...