米国でインフルエンザにかかった二人のお子さんの薬代を出せずに亡くしてしまったという大変悲しいニュースを見た。

 

聖書の中に金持ちと醜い貧乏人の話が出て来る。

 

醜い貧乏人が金持ちの豪華な食事のおこぼれに預かる犬を羨みながら死んでいくという話。

やがて寿命が尽きた金持ちは貧乏人が天国で食事をするのを地獄から眺めるというザックリとした流れなのだが

私は以前にも貧困層がデモをするのをウォール街の金持ち達がコーヒー飲みながらせせら笑っているニュースを見てこの話を思い出した事がある。

さて

金持ちは何故地獄へ落ちたのだろう?と考えてみる。

 

金持ちが神の国へ入るのは何と難しいことかとイエスキリストが話すくだりがある。

つまり持ってる人はそれを自由に使って良い権利を得ているのではなく、それをどう有効に使う事が出来るのかを神に問われているという事なのだと私は考える。

逆に持たない人はそれを問われない。

はなから持ってないのだから使いようが無いよね。

 

だから持ってない事、不遇な境遇を嘆く事はない。

体の寿命は尽きるけど魂の寿命は永遠なのだから、この世で多少貧しかろうとあの世で天国に入れる方が良いやって思う。

 

しかし神の存在を確認したことのない人は、聖書の話など道徳の教科書やグリム童話と同次元にしか考えないだろう。

神様がいるかどうか確認したければ祈ってみる事だ。

天の神様、どうか私を天国に導いて下さいと。真剣にそう祈ってみれば良い。

運命は必ずそこから変わるはず。

居るとしか思えない何かが起こるはず。

リラックスして、あらゆる思い入れを省き、起こった事を素直に受け入れる。

ただそれだけ。

信じるも信じないのも自由です。