私には、15歳と7歳の娘がいます。
自分が6歳の時に、姉が殺された場面と誰によって殺されてしまったかを夢に見てから、親は事故だったんだよ、と幼い私には、酷い事実を理解出来ないと考えたのでしょう。その夢によって、姉が事故死ではなかったことを初めて知りました。
当時の私は6歳でしたが、その時から、親がよく口にしていた、
●人を見たら泥棒と思いなさい
●目立ってはいけない
●誰が見てるか分からないから。外で笑って幸せそうに振る舞ってはいけない
の教えをよく守るようになりました。

えーっ⁈ 何いきなり⁇と思った方、ごめんなさい(^人^)

それ以来、私の人生は癒しの旅となりました。
被害者遺族として生きて来て、物事を真っ直ぐ見られない自分の屈折した想念を癒すことが、大きな目的でした。
そんな自分を受け入れてくれる人が現れるとも思ってなかったのですが、結婚することになり、こんな自分が子供を持つことが出来るのかと何度も自問自答を繰り返して来ましたが、現実的に2人の子供に恵まれました。

自分自身も癒せてないのに‥もしかしたら、外から見たら普通に見えたかもしれませんが、心は傷だらけで血を流している私が子供に愛を注げるか、本当に不安でした。
迷うことも、逃げ出したくなることもたくさんありますが、育児によって、自分自身が浮き彫りになることもたくさんあることに気付きました。

子供を見ていると、当時の自分自身がタイムラインになって映像が流れて来るのです。
例えば、今現在なら、15歳当時の私と、7歳当時の私が、交互に蘇って来て、当時の出来事や想念を癒すチャンスが訪れて来るのです。面白いくらい、自分がどの時点で深く傷ついたか、怒りを、悲しみや孤独をお腹の奥底にしまってしまったか、まで、どんどん記憶を辿ることが出来るのです。

自分の生い立ちを考えると、普通の母親が与えられる愛を子供達に注ぐのは難しいところも正直あるかもしれませんが、もし、子供達が私のところに生まれて来てくれなかったら、私の魂の叫びも聞く耳すら持てず、癒しも魂の目的も分からないまま、ただ人生という時間を無駄に憎悪だけで過ごしていたように思えます。
主人や子供達の魂が、選んで私のところに来てくれたことに、本当に感謝です(#^.^#)
お互いを癒し合い、成長していけることを思うと、あの時、そして、あの時も死を選ばず、生きて来て良かったと思えます。

残りの人生をかけて、癒しの旅を続けたいと思います^ ^

インフルエンザが流行ってますね。娘も、とうとうかかりました^^;
皆さんもご自愛下さいませ(╹◡╹)♡