皆様、こんばんは
私は、ここ2、3ヶ月くらい、スケジュール帳に毎日の予定を書き込むことを止めました
というのは、私は、大学時代からスケジュール帳に予定はもちろん、その日に思ったことやひらめきなど何でも書き込んで来ましたが、今、結婚し育児に専念する毎日の中で、なかなか自分で立てた計画通りの1日を過ごせず、予定が遂行されないこと、何も出来ずに1日が終わってしまうことに対して、
「やっぱり私はダメだ・・・」
という自責の念にかられ、徹底的に自分を責めていたのですが、段々自分でその重圧に耐えきれなくなり、そのうち人のせいにするようになり、イライラするようになったのです。
自責に苛まれ、予定を邪魔されると、今日の成長予定分を妨げられたように感じてしまっていたのです。
成長したいと思うこだわりは、私を完璧主義へと導き、上手くいかないことが一つでもあると、それを誰かのせいにして来ました。
そして、その邪魔されたという思いが、いつまでも残っていて、蓄積されると
「許せない」
という思いに変わっていきました。
でも、実際は誰かのせいにしたところで、自分の重荷から逃れられる訳がなく、“自責”と“人を許せない”思いの狭間で苦しみました
毎日を充実“させたい”という思いが、いつの間にか充実“させなければ”という焦りや不安に変わっていました。
昨日より今日、今日より明日、日々進歩しなければ・・・、成長していたいというこだわり。
キャリアを求めて生きて来た私は、育児に専念して、毎日のんびりしていたら、自分の進化が止まってしまうのではなどと不安に思っていました。
いつも成長していたいという思いにこだわっていた時は、悪気はなかったのですが、色々なことや人をジャッジしていました。
まさに、「自分のことは棚に上げて‥・」です。
とにかく、いつも上に行くことを追い求め、自分がどの位置に立っているかも忘れ、ひたすら上だけを見ていたように思います。
我ばかりが強くなり、高ぶってしまっていることに気付かず、自分を正当化していました。
自分を高めたい、成長したいはずなのに、成長していると感じられた日は、その瞬間はウキウキしましたが、成長していると感じられないと落胆しました。
感覚的に感じられるか、感じられないかで毎日一喜一憂する感情に翻弄された人生は、真の導かれた成長とは程遠い、我欲も捨てられない、感謝も出来ない人生でした
導かれた成長は、空のように仕切りがない・・・
そこにこだわりがなく、感覚的・感情的に、その日の成長具合の善し悪しを決めることでもなければ、感覚的・感情的に自分自身を、人を裁くことでもないことが分かりました。
今は、スケジュール帳にその日の予定を書く代わりに、その日に出来たこと(達成したこと)を書いてます
今は、こだわりがなくなったので、娘達の為にたっぷり時間を作ってあげることが出来るようになりました
今日も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます
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