皆様、こんにちは
昨日、長女のあおの夏休みの課題もあって、マリーアントワネット物語展へ行って来ました

マリーアントワネット物語展
肖像画から再現されたドレスや船盛りヘアのかつら、小物入れ、懐中時計、扇、首飾り事件で有名なダイヤのアクセサリーなど見応えたっぷりの展示品が沢山ありました
マリーアントワネットというと、その豪華で華やかなファッションから浪費家、地味な夫ルイ16世と合わず、寂しさを紛らわす為、おしゃれや恋、パーティー三昧、賭博好きでスキャンダラスな生き方が国民の反感を買い、フランス革命でギロチン処刑――というイメージが強かったのですが、こちらの展示会で、違った一面を知ることが出来ました。
マリーアントワネットは、オーストリア ウィーン出身で、14歳でフランスへ嫁ぎ、18歳の時にフランス王女となり、37歳で処刑されるという波乱の人生でしたが、その短い生涯で、数々のレジェンドを残した人です。
クロワッサンとカフェが似合うフランスですが、実は、マリーアントワネットが母国オーストリアから嫁いだ時にフランスへ伝えられた文化だそうです。
マリーアントワネットは、身長154cm、ウエスト58cm、バスト109cmというグラマラスなボディーだったそうです
毎年170着のドレスをオーダーメイド、船盛りヘアーといった奇抜なヘアスタイルを流行らせるなど、フランスだけでなくヨーロッパ中にも影響を与えるファッション・アイコンでした。
ファッションだけでも、年間10億円ほど費やしたといわれています。
因みにかつらは、一説では180cmにも及んだそうで、その高さから不安定で馬車の中で座ることが出来ず、床にひざまづいて舞踏会へ向かったそうです
まさに、ファッションは忍耐
結婚後、8年目でようやく子供を授かり、4人出産しますが、2人は亡くなってしまいます。
母親になってからのマリーアントワネットは、一切の遊びを止め、普段はシンプルなドレスを好み、良き母として子供達のそばで過ごす時間が多かったと言われています。
ルイ16世も当時では珍しく愛人を持たず、生涯マリーアントワネットを愛し続けたと言われています。
ルイ16世ファミリーが牢獄され、マリーアントワネットは、「不幸になって初めて、人は本当の自分が何者かを知るのです。」という言葉を残しているそうですが、宮中の外で、国民に何が起きていたのか、様々な現実を理解したと同時に、家庭の温かさを知り、ささやかな喜びや愛のある晩年を送っていたそうです。
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