皆様、こんばんは
土曜日をいかがお過ごしでしょうか
来週末は長女のあおの小学校の運動会です
あおは、1年、2年生のかけっこで1等賞を僅差で逃し、「今年こそは、1等賞を獲るから絶対、絶対見に来てね」と、はりきって放課後も練習しています。
あおの頑張って練習する姿を見ていると、自分が小学生だった頃、父がお仕事を休んで応援に来てくれるのが嬉しくて、いつも怒られてばかりで怖かった母に褒められたくて、一生懸命練習した自分を重ねて見てしまいます
先月癒しセミナーに参加して来ました。
幼い頃の忘れてしまったような小さな記憶までさかのぼって思い出し、ささくれのようにしか感じてなかった、気にも留めてなかったような傷が、大人になってからの自分の行動に大きく影響を及ぼしていた事に気付かされました
幼い頃の記憶は、はっきりとは思い出せなくても時間をとって振り返ると、トラウマの原点が、すっかり忘れていた子供の頃に傷ついた経験から来ていたことを知りました。
例えば・・・
“子供は親に褒められても、怒られても傷つく”
と聞きました。
えっどういう意味
子供は親に褒められれば、褒められる為にもっと頑張らなきゃ
(頑張らないと愛されないと解釈してしまうそうです)
怒られれば、ダメな人間だと自分を否定してしまうそうです
(自分はダメな人間だから愛されないと解釈してしまうそうです)
そう解釈してしまっている事をその時子供が自覚出来ていなくても、後々、潜在的に刷り込まれ、愛される為に人一倍努力してしまう大人になったり、自分は愛されない無価値感を抱く大人になってしまったりするそうなのですが、そう言われてみると、私にも両方の部分を兼ね備えている事に気付きました
主人が最近、あおに「かけっこで1等賞を獲らなくてもいいんだよ」と言うと、
あおは突然泣き始めました
あお「だって私が1位を獲るところを見て欲しいんだもん」
主人「なんで1位を獲りたいのか、自分で理由が言える」
あお「・・・。」
主人「あおが親に為に頑張らなきゃと少しでも思っているなら、その思いから頑張るんじゃなくて、自分の為に頑張ってごらん
パパもママもあおが1等賞を獲っても獲らなくても愛してる事には変わりないんだよ」
あおは、100点満点のテストは得意げに私に見せますが、100点以外は私に見せずに捨てています。
あおの中でも、現在進行形で沢山の小さな傷があるんだな・・・と感じます
私自身で言えば、自分では精一杯やってるつもりの育児も失敗だらけ、反省だらけの日々です
先月の癒しセミナー後、あおを傷つけて来てしまって来た事に対して、「ごめんね アイラブユー
」と伝えました。理由をうまく説明出来ず、涙が溢れましたが・・・
褒められても怒られても傷つくなら、じゃあ、どうしたらいいの
ということですが、人間はどこまでいっても完璧ではないことをまず認めることかなと思いました。
その上で、娘達に
“あなたが何をしてくれても、何もしなかったとしても、あなたの存在そのものを愛しているよ”
という本質的な愛を時間をかけて、ゆっくりじっくり伝え続けていく以外に方法はないのかなと思いました。
今日改めて、何でかけっこで1位を獲りたいのか訊くと、「私、早く走れるようになりたいから」を元気よく答えてくれました
娘達を通して、私達親も一緒に癒されていくように思います
どうぞ良い週末をお過ごし下さいね
今日も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます