薄い朝陽が窓の紙を透かして入り込んでいる。
ふ…っとウンスは眠りから醒めた。
室内の空気はひやりと冷えていたが、ウンスの身体は暖かかった。ふと見れば、薄衣を一枚纏っている。チェ・ヨンが着せてくれたのだ。
今宵からは衣を着て寝ましょう、とチェ・ヨンが言っていたのを思い出す。
本当に、有言実行ね…私の旦那様は。
ウンスはふふ、と笑みを零す。
チェ・ヨンを見遣れば、ひどく満ち足りた顔で、眠っている。その寝顔はまるで、幼子のように安らかだった。
この人のこんな寝顔、見たことない。
ねえ、安心してくれたの…?
私の、傍で。
ふいに、涙が零れそうになる。
今まで、安心して眠れる夜など、なかっただろう。戦いの中に身を置くのが当たり前のこの人は、いつも先触れもしないうちに、瞬時に眠りから覚める…
せめて、私の傍では、安心して…眠って。
ウンスは、愛しい人の妻となった幸せを噛みしめる。家族になったのだと思うと、胸にぬくもりが広がって、むず痒いような気がした。
ウンスは、寝台に頬づえをついて、チェ・ヨンの寝顔をじっと見つめた。長い睫毛、すっと通った鼻筋、厚く引き締まった唇…
まだ、目を覚まさないで。
その寝顔を見ていたいの。
お願い、もう少しだけでいいから…
ばさり、と渡り鳥の羽音が聞こえて、チェ・ヨンは、ぱ、と目を覚ました。
ああ、起きちゃった、とウンスは心の中で呟いた。
「…起きて、いたのか」
「…うん。気持ち良さそうに寝てた、あなた」
チェ・ヨンは、ウンスを見てふ、と微笑むと、まだ開き切らない眼を擦り、ウンスを長い腕で抱き込む。ウンスは、チェ・ヨンの温かな胸に頬を寄せて、嬉しそうに息をついた。
「…初めて、だ」
十六で家を出てから、とチェ・ヨンが呟いた。
「夢も見ぬほどに、熟睡した。
…眠る事は、こんなにも、心地よいのだな」
ウンスを見遣れば、僅かに潤んだ瞳で、胸の中から自分を見上げている。チェ・ヨンが笑みを零すと、ウンスは少し恥ずかしそうに、目を逸らして、顔を赤らめる。もう一度チェ・ヨンを見上げると、すっかり甘くなった眼差しを寄越した。
暫く、何も言わずに見つめ合っていると、チェ・ヨンの唇が降りてきて、ウンスの唇をそっと押し包む。
朝陽が、口付けを交わす二人を金色に縁取っていた。最初は、優しかったチェ・ヨンの眼差しが、次第に燃えるような色を纏って、口付けは噛み付くように深くなった。
また、二人の肌に熱が籠もり、合わさった唇の合間から、熱い吐息が漏れ出した。
チェ・ヨンは、ウンスの薄衣の合わせに手を掛ける…
と。
ドンドンドン。
扉を叩く音に、二人は一瞬動きを止めて、顔を見合わせる。
「ヨンア!ヨンア!…そこにおるな?ウンスもだ、二人共出て参れ!」
チェ尚宮の声だった。ウンスが慌てて寝台から降り、衣を羽織る。指先が震えて、紐が上手く結べない。チェ・ヨンも急いで衣を纏うと、ウンスの衣の紐を結んでやり、急いで扉を開けた。
二人は、チェ尚宮の前に並んで正座していた。
二人とも、急いで纏った衣装は乱れに乱れており、チェ・ヨンの髪には寝癖までついている。ウンスの首筋にはチェ・ヨンが付けたしるしがくっきりと残っていた。
チェ尚宮が、二人を舐めるように見て、はあ、と溜息をついた。
「急ぎ軍議を行うことになった、と知らせがあった。テマンを屋敷に遣いに出せば、昨夜より戻っておらぬとのこと。探したぞ。新婚夫婦が、よりによって、こんな所で…」
はしたない、とチェ尚宮が呟いて、ウンスとチェ・ヨンは互いを見遣って、引き攣れた笑みを浮かべた。
チェ尚宮の後ろで、馴染みの武閣氏たちが笑いを噛み殺している。
「チェ、チェ尚宮様。王妃様がお呼びです。い、い…急いで、と」
テマンが転がるように駆けて来て、チェ尚宮の後ろから声を掛けながら、チェ・ヨンに目で合図を送る。
よくやった、テマナ。
チェ・ヨンはウンスの手を取ると、パッと立ち上がって駆け出した。
「あ、こら、まだ話は終わっておらぬ!」
と叫ぶチェ尚宮に、ウンスが振り向きながら
「コモニム、ごめんなさい、後で、また、ゆっくり」
と謝りながら、チェ・ヨンに引かれるまま小走りで薬草園を突っ切って、…消えた。チェ尚宮は、暫し呆然として、それから、さも楽しそうに、肩を揺すって笑い出した。
はあ、はあ、と息を切らして、二人は王宮を駆け抜ける。
「コモニム、すごい剣幕だったわね」
「序の口だ。本気で怒らせると、もっと怖い」
「嘘。あれより?」
二人は、走りながら声を上げて笑い合う。
それを見る王宮の皆も笑っている。
私達らしい、始まりの朝だ。
ウンスは、チェ・ヨンの背中を見ながら思う。
同じ方向を見て、手を取り合って進む。とても、清々しい気分だった。
何があっても、この手を離さない。
共に、行くわ。
どこまでも。
チェ・ヨンがウンスを振り返って微笑む。
俺達の夜は、明けたばかりだ。
俺が見ている先に、イムジャがいる。そう思うと、肚の底から、ふつふつと力が湧いてきた。
何があっても、この手を離さない。
共に、行こう。
どこまでも。
王宮を抜ければ、陽の光が二人を包む。目に見える何もかもが、光を浴びて輝いている。
世界は、美しい。
この美しい世界で、力の限りに、生きていく。
一日一日を、愛しながら。
二人の瞳は、どこまでも澄んで、輝きを放っていた。
(終)