母からはろくにコミュニケーションも取られず、家事を教わる事も無く、年の離れた兄は上京し、父と母は仲が悪く喧嘩が絶えない家庭だった。


父は寡黙だが、愛情豊かな人で働き者だった。

母は、父が何か言えばすぐさま怒鳴りつけるような性分だったから、父はますます口を開く回数が減り、私も父と話をしにくくなる程だった。


父は、器用な人だったし、優しいので、数々の思い出があった。


母が、お金の執着が凄くて、

祝い事もろくにしてもらえなかった。

誕生日、七五三、成人式も無し。

初潮を迎えてもろくな生理の話をされず、ただナプキンとサニタリーショーツを買ってくれただけ。

お赤飯なし。


日頃から、母は怒りに満ちた冷たいオーラを醸し出している人だった。


私は、母との関係性で常に悩みがあり、兄が上京した小6からは、益々関係が悪くなり、私も反抗期になり、口喧嘩が増えた。

50過ぎてから母と同居を始めたら、幼い時からの辛い思い出を振り返ってしまい、ストレスが溜まり身体も精神も壊し、精神のお薬を飲んだ。(現在は回復しています)


母の話の中でおかしな話に戻す。


歯医者で舌に針を刺されたので、それから味覚がおかしくなった。ヒリヒリして、味がしなかった。

病院を転々とした。歯医者に文句も言ったが、舌に針を刺していないと言われた。嘘つき医者だ!


というものだ。私は、母の話も全て疑わず、いくつか病院をはしごした。

亜鉛がいいと聞くが、サプリメントは絶対に嫌だと言う母だった。東京の都心の有名な病院には兄に頼んで連れて行ってもらったが、異常は無かった。


年寄りは乾燥しやすいから、舌もその症状は出るんだと緩和はしても完全には治らないとどこでも言われた。


母は、舌に針を刺されたのが原因と言って聞かないが、兄が大学病院は実験台にするぞ、金がかかるぞ。と話して、母もそれっきりに。


母の話でおかしな話は、他にも


買物の帰りに後ろから来た男が、くっついて来ると思ったら、リュックの中から水筒を抜いた。私の水筒を盗まれた!


というものだ。


その後、ベッドの下に転がっていたのを見つける。


そんなことが続き、認知症の検査をしたが、長谷川式は認知症と認められず。


私は、母の行動できゅうりやトマトを買物の度に買うから、冷蔵庫に溜まっている、アルミホイルやサランラップがたくさんあるが、使いかけで次のを買ってくる。

何度も同じ話をするし、聞いてくる。

お医者さんに認知症と診断書を書いてもらう。

要介護1とも認められた。


そして、グループホームに入居させました。


入居させても白内障の手術の付き添いはあり、会えば兄の悪口を聞かされ会いたくなかった。


グループホームには9ヶ月入居させていましたが、母の性格的な事で相談され、精神不安定を処方してもらうことになりました。しかし、その薬を母が飲むようになり体調不良を訴えるようになったと。

ある日、私の職場に電話があり

「お母様が心臓がバクバクすると訴えられ、血圧も高く下がりません。どうすればいいですか?」

しばらく様子を見ていただき、血圧も安定しないし、心臓も痛いとのこと、救急車を呼んでくださいと伝えました。

大雪の日でした。

自宅付近に救急病院はあるから、そこに運ばれると思いきや、私の職場付近の病院に運ばれた。

自宅に戻るが、Uターン。

1時間のロス。

グループホームは通院の付き添いはしてくれず、私が迎えに行った。

病院に着くと医者と心電図を取った取らないで口論するぐらい元気な母。

大雪の中、タクシーで帰った。

私は母に怒鳴り散らしたい気持ちを抑えた。

母との口論の後、血圧が一気に上がる。肉親が3人(父、別れた夫と姑)も高血圧による脳出血になったから、血圧が上がるのが恐怖なのです。


その後、グループホームから内科医、精神科の先生が母の為に来て、治療の相談をされた。

統合失調症もあるのでは?と。

妄想が激しいからだ。


しばらくして、グループホームから呼び出され、目が赤く充血しているから、眼科に行きたいと言い出していると。

通院の付き添いをした後にグループホームのケアマネから


「お母様、とうとう、他の入居者さんに手が出ちゃったのよ。」


と聞かされる。


母からは、他の入居者が部屋に入って来て、バッグも無いし、服も盗られたし、勝手に入ってきてベッドで寝てるし、おもらしもされた。

母の部屋だけ鍵をかけられるようにしてもらうが、夜中にもガチャガチャ開けようとする人がいて眠れない。


など聞かされていた。


会えば、刺身を食べたいと言う母。


お金の管理は私がしているが、昨年、父も亡くなり、遺族年金も入るようになり、グループホームでお金を使うより、私が面倒を見る事になりました。


他の入居者さんに迷惑をかけてもいけないし、私も母の事を考えると自分の仕事も落ち着いてできないので、働き者の父のお陰で遺族年金と母の年金と貯蓄で生活ができると思ったから決断した。


兄も私の話には協力的で、母の荷物を運んだり、日頃からも何かと美味しい食材を買ったらくれたりしており、兄と私の関係は壊れてはいない


退去の日、母の向かいの部屋の人が私に


「お母さん、あっちの部屋の人とバチバチでね。」


と言われた。


疑い深く、気の強い母。

申し訳なかったなあという気持ちになった。


つづく