いい日 | genuineness

いい日

「こんな事情で先生もイヤかもしれないけど、大切なお友だちに手作りの形見を渡したいの。」

数年前、こう言って母の手作り教室にやってきた方が、つい先日亡くなりました。

まだ60歳でした。


末期のガンを患いつつも、亡くなる2週間前まで家族の面倒みたり、換気扇のお掃除までしたり、母のやっている手作り教室に来て手作りを楽しまれていたそうです。


女性ですが、年下でひとりではなんにもできないご主人さまに貯金をたっぷり残し、お二人いる息子さんもしっかり自立されて、それでいて自分のためにもきちんと貯金があり。

今までやりたいことやってきたから、なんの後悔もないの、これからも余裕もあるからなんでもできるの、なんておっしゃっていたそうです。

痩せてしまっても、昔みたいな格好ができるのよ、なんて言ってギャルのようなお洋服を新しく買ってみたり。


自分の今の状況をそのまま受け止め、その状況なりの「いま」を存分に楽しまれていた方。

生ききった、という言葉が浮かびます。

なんて潔い。


母が最期のご挨拶でお顔を拝見したら、それはもうたっくさんのご自身の手作りの作品に囲まれていたそうです。

家でも、たくさん作品を作って楽しまれていたそうなのです。


今日スタバでお茶をしながら母からこの話を聴いて、たまらず泣いてしまいました。

そんな方の人生の最後に関われて、ありがたいね、少しでも力になれたのなら、ママすごいね、って。


思いがけず母とふたり、生きている限り死ぬことは免れない、いつかはみんな死ぬのだから、いまをいかに楽しんで過ごすか、もうそれだけだよね、ってうなづきあいました。

現状にぶつぶつ文句言っているひまなんてない、その現状をいかに楽しんで過ごすか、自分次第だよね、って。


すべて自分次第だよね、なんて、母と語るとは思っていませんでした。

話せてよかったです。


こんなきっかけを作ってくださって、ありがとうございます。

母がお世話になりました。

本当に、ありがとうございました。