22日の夜から25日にかけて、仙台と岩手県南の親戚の家に、友人と2人で食料と燃料を届けてきました。TVでは見れない 内陸部の実情を、ほんの一部しか見れなかったんですが、自分の目で見て感じたことを書きたいと思います。
シーズン1 ~思いたったら直行便~
時は3月21日正午。某トヨタ販売店でオイル交換をしているときのこと。
両親と地震の事について話している最中、何気ない一言で始まった、
「絶対に笑ってはいけない宅急便 24時。」
震災の影響で、週末辺りの仕事の予定が未定になっていた今週。ただ家にいるのももったいないし、東北の親戚が食料が底をつき、毎日手分けしてスーパーやコンビニ、避難所になっている学校に、食料を探し回っていると聞いていたのもあり。「行くなら今しかない」と思い 行動に移した。
友人と2人で田舎に持っていく食料と日用品の買出し、両親も野菜や肉や魚などを調達し準備を進め、ひと通りの物資を揃え残るは燃料の確保だけ。
東京は今は燃料不足は落ちつきましたが先週末はどこもGSが閉まっている状態の中での燃料確保。どこのホームセンター、GSもポリ管と携行缶は売り切れ状態。行き帰りの分の燃料と、親戚に届けるガソリン。捜し回ってる私たちは知り合いに電話をかけ、知人が使っていないポリ管を4つ貸してくれて、取引先も携行缶を3つ貸してくれた。その日の朝、友人と親父にポリ管を預け手分けして軽油を100L確保。出発の夜にガソリンも30L確保して、タイヤ交換、積み込みをしてPM23:30出発。
シーズン2 ~奥の細道モッコリもこみち~
とりあえず出発した私たちだが肝心なことに気がつく。仙台の親戚の住所がわからなかったのだ(笑)
すぐに住所を確認して再出発。首都高に乗り東北道へ。節電の為かいつもなら明るい首都高が暗い、浦和から東北道に入ると、またさらに暗くなっていく。この時、東北道は震災のため宇都宮から先は緊急車両と大型車しか通行することができず、一般車は下道での北上しか出来なかった。
とりあえず宇都宮まで爆走し、宇都宮IC出口付近で先の様子を伺う。噂では高速に検問所が敷いて有り、燃料なんかも裸で積んでいると その先に行かせてくれないという話を聞いていた。だが 宇都宮IC出口付近では検問はしておらず、その先を黙視しても、パトライト1つ見えなかった。とりあえず1度宇都宮ICで降りてUターンし、また仙台方面へ向けて高速に乗った。
しかし、次の矢板ICでは 自動的に一度出口で下りるように誘導フェンスが置かれ、大型車と緊急許可証有の車のレーン、一般車は出口へ誘導され、矢板から国道4号線を使って北へ向かうことになった。
真夜中の国道4号線は交通量も少なく、何気にすいすい走れた。福島辺りのコンビニやラーメン屋は普通に営業していた。友人と運転を交代しながら走り ほぼノンストップで走り続け、途中でナビがとある村の中を案内し始めた。地震の影響か道が多少凸凹しているところがあった。軽快に走っていたら 荷物が飛び上がる程の段差がありビビる。積み荷の燃料が漏れていないか確認し、出発。
その後も道が悪いところが有りながらも、なんとかかんとか、走り続け。朝方 名取に入った。そう、名取は津波が襲った街である。国道4号線は海からは少し離れた所を走っているため、激震地の風景は見えなかったが、川には流木や車が沈んでいました。津波が逆流してしてきた跡がハッキリ残っていたのです。
市内の所々で倒壊している建物が見受けられました。
壁が崩れ落ちている所、全壊している所など、津波に襲われていないところでも被害がありました。途中のGSにはテレビで写っていた車の行列。東京の比じゃない。。。早朝から灯油を買いに並んでる人々。激震地へ向かう自衛隊の車両。
スーパー、コンビニは一軒も営業している店はありません。それは仙台市内も同じでした。
シーズン3 ~仙台の甥っ子と姪っ子~
出発から7時間、ようやく仙台の親戚宅に到着。親戚は7人家族で仙台市泉区に住んでいる。早朝にも関わらず 家族みんなで出迎えてくれ、久しぶりの再会。早速 東京から持ってきた 食料品、日用品、暖房器具、ガソリンなどを渡した。震災後から本当に食料が手に入らなかったようで、とても喜ばれ、辛い日々を過ごしていたのか姪っ子は涙ぐんでいた。
街並みは一見 普通に見えるが、深刻な燃料不足と食料不足に陥っていました。。。
荷物のひき渡しが一段落し、お茶を飲みながら みんな震災直後から今日までの事を話してくれた。
地震が来たとき、家の中のあらゆるものが倒れ落下し 家の中がめちゃくちゃになり すぐに電気 水道 ガスが止まり みんなひとまず近くにある中学校に非難したようだ。周辺地域の人たちで持ち寄った食料で 炊き出しを行い みんなで分けあって食べていた。しかし、日を追うごとに食料は減っていき、すぐに底をつく。行政からの物資は一切なく、自衛隊や救援物資はすべて激震地へ行ってしまい。自分たちで手分けしてスーパーやコンビニの列に並で店が開くのを待ったが、3時間待っていたコンビニにきた配送のトラックから降りてきたのは おにぎりが5個、カップラーメンが10個以下。そのコンビニには200人もの人たちが並んでいたそうです。スーパーで買えたものは煎餅1個だったと言っていました。
ライフラインが復旧する前は、水の確保が大変だったようで、学校で災害用の保存水を2~3本確保できた以外は、雨の日に雨樋を壊して風呂の浴槽に水が入るように雨樋を作り直し、雪が降った日は、雪を集め 綺麗な雪を使って食器等を洗うのに使い、夜 川で水をくみ、その水をトイレ用に使っていた。
電気と水道がなんとか復旧したあとは、食事は、家に残っていたお米を1日回、あとは小麦粉を練ったもを焼いて食べていたとのこと。
一番下の3歳になる子は、今回の大地震がトラウマになり 余震が来るたびにパニックになり嘔吐を繰り返していました。
2時間程この親戚宅で談笑したあと、平泉へ向けて出発。仙台を後にしました。
シーズン4 ~傷だらけのエンジェル~
仙台を出発した私たちは、ちょうど通勤時間帯からか軽く渋滞に挟まれる。外は風景は相変わらずGS渋滞の列と閉まり続ける店が多数見受けられる。ちょうど信号待ちのときだったか、ふと見たコンビニの前に 3歳位の女の子を連れた母子の姿があった。 当然 店は営業していない。
朝早くから歩きまわっていたのか、母親の表情は疲れきった顔に見えた。開いてない店の前で呆然と立ち尽くしていたその親子の姿を見ていられなくなり、すぐそのコンビニの駐車場に車を入れ 帰ろうとしていたその親子を呼び止め 友人が食パンとお菓子を渡した。嬉しそうに私たちに手を振っていた女の子、しかし、その女の子のカバンの中身はすべて空のペットボトルだった。もしかしたら、あの親子は水のほうが欲しかったのかもしれない。
地域によってはまだ断水が続いている地域もあり、私たちが見たあの親子の住んでいるところは断水のところだったのかも…
今回の震災では津波ばかりが取り上げられているが、震度が一番大きかったのは宮城県栗原市である。震度7強という地震が襲った街。栗原市は何年か前に統合合併した街で、私たちは昔の地名じゃないと いまいち場所がピンとこない。仙台から北へ向かうと、道が凸凹しているところが多く見られ、俗に言うチンサムロードが増えていく。橋の周りは地面が沈み、段差が多く見られた。
墓地の墓石は見事に全部倒壊していた、セメント工場の高い建物は1階が押しつぶされ、柱が曲がり、斜めになったまま建っている。その方向には目の前に国道4号線が走っているのだ。もし余震で倒れれば、一般車を押しつぶしてしまうかもしれない。石材店の石材はすべて全滅、GSの壁や天井は崩れ落ち、道路は陥没している場所、歩道がフェンスごと崩れているところなどが一関に入るまで続いた。
花泉の親戚の家に行くみちは、地すべりして道が寸断されていた。昼間だったので15m手前で気がついたから良かったが、夜だったらOUTだったかもしれない(笑)今回の地震の爪痕は、一関市内でも多数見受けられ、燃料不足は地元も深刻だった。GS渋滞は前夜からなんて当たり前のようだった。
無事 親戚の家にも物資を届け、その日は友人宅に宿泊。夜は寒すぎたので 近くの温泉で身体を暖めた。
帰りに 学生時代にバイトしていた 平泉の韓国料理ソウル食堂へ。震災後の物不足の中、懸命に営業していました。マスター(店主)はすでに出来上がっていて楽しいことに(笑)奥さんは韓国人、完全に奥さんのほうが強いです(笑)昔話に花を咲かせ、適度に帰宅。その日は爆睡しました。
シーズン5 ~さよならの天使たち~
次の日はAM10:30起床。マイミクのティアラの第二児を拝みに行く。元気な男の子でした。花泉の親戚の家にも行き お餅や漬物を食べ、子供たちと遊んだりと一時のリラックスタイム。ちょい強めの余震が来たのにはびっくりしましたが(笑)無事全日程を終え。その日の朝に東北道が全線開通したので、帰りは東北道に乗りました。
宮城に入るとチンサムロードが多くなり、矢板の手前までチンサムロードは続きました。
今回の地震では、津波の被害にあった沿岸地域ばかりがTVで取り上げられ、内陸部の情報はTVでは皆無に等しい状態でした。壊滅地域に比べれば 内陸部は可愛いほうかもしれません。しかし、あまり被害が少なかった分 逆に物資は届かなく、食料も底を付き 自宅難民状態に陥った地域も多数ありました。自宅が助かっても、自宅があるというだけで避難所での配給を拒否され、行政からの物資も届かない。スーパーなどでは喧嘩が起き、倉庫や店舗では窃盗や略奪なども起きた。
TVでは知ることが出来ない現実があります。
これからボランティアを考えている人、義援金や物資を送ることを考えている人、できるだけ 現地の様子を生で見た人達から 話や情報を聞いてほしい。
TVと現実の世界は まったく違う光景です。
一日も早く、故郷の人たちが 皆に笑顔と幸せが 戻ることを願っています。
ハンサムRESOでした。。。