(かなり)遅れてきた発達障害日記 -16ページ目

(かなり)遅れてきた発達障害日記

やっぱり人とつながりたいということで、ブログをはじめました。「こうあるべき」っていうのはできるだけ、とっぱらって、正直な気持ちをつづっていきたいと思います。一番の読者は自分なのですけど、読んで、共感してくださる方がいるのはうれしいです。

癒しを必要としているこの土曜の朝、とりあえずブログで気持ちを整理しようと考えた。

 

昨日職場のCPR 研修に参加したところ、会ったことのない中年の日本人男性が参加していた。正直に言うと、非常にさえない風貌をしていて、姿勢も悪く、歩き方も格好悪い。お互いに同年代の日本人だということは意識していたが、とりあえず、言葉を交わすことを避けた。もっと正直に言うと、嫌悪感に近いものがあって、近寄ることができなかった。

 

自分も50代に入って、立派な中年なのだけど、ある程度自分がどう見えるかには気を使っており、世代を超えて職場に溶け込んでいるつもりでいる。

 

もう少し補足すると、こちらに在住している日本人に出会うと、少し緊張するということがある。自分が満たされていない、または心に傷を負っているような場合、ついついマウンティングをしてしまうということなのだと思う。自分と同じ種類の獣に出くわした場合、自分の方が英語が流暢であるとか、現地に溶け込んでいるとか、そういうことで勝負したくなる。

 

自分の場合は、英語はそれなりのレベルには達したはずなのだが、ほかのいろいろな問題があって、人が集まる場では、自分という人間がうまく機能しないことがよくある。診断等受けたことはないのだけど、発達障害または若年性の痴呆があるという確信に近いものがある。ASD も、そのスペクトラムのどこかにいると思うし、ADHD 的なところもある。

 

ともあれ話を戻すと、研修中の作業にひとりだけ手間取ることがあり、自分は「負けた」と思った。そこからひそかにメルトダウンが始まっていて、自分は社会的な存在として機能していないという思いがその場を満たして、静かに沈没していった。

 

で、今思うことは、その出会った中年男性のイメージを受け入れる必要があるということ。罪のない、一生懸命生きているその命を抱きかかえる必要がある。それは自分を映した鏡であり、そこから癒しが始まる。