先祖探しの旅 ① ハジマリ | たっくのブログ

先祖探しの旅 ① ハジマリ

痩せ細ったその体は私が北海道にいたその頃とは違っていた。

私が物心ついた頃から当たり前だと思っていた姿が今になってずいぶん違うのだから、受け止めるにも受け入れるにも時間を要した。

 

新型コロナウィルス感染症の影響は世界中の人に訪れているが、その影響の仕方はその人その人で少しずつ違う。

私の祖母にしてみれば、お見舞いに来ない薄情な親族だと心のなかで私たちを攻めいていたのかもしれない。

今年の3月祖母は他界した。

 

 

 

人工呼吸器を付けて自ら水を飲むことも許されない延命治療に家族は困惑したが、それでも生きたいと願った祖母に対していったい我々は何ができるというのだろうか?

祖母に対して自分が来たよ。また来るね。と声をかける度に祖母との距離感が薄れてしまう。きっと祖母もそれを感じているんだろうと思う。

自分の心のなかで何かわからないが、その先の覚悟を決めたという準備かもしれない。

 

半分以下に小さくなってしまった祖母のその姿を見たのが今年の3月、札幌市でのことだった。

 

 

私は幼い頃から祖父母に育てられていた。

まだ乳飲み子だった私は祖母の出ないおっぱいを飲もうとするが、出ないものは出ないので泣いていた。

小学校の授業参観や運動会も朝から場所取りをするのは祖父の役目だった。

 

中学の頃、祖父が他界して反抗期の矛先は祖母へと向かっていた。

祖母は祖母でパワーがあったから心置きなく私のすべてをぶつけることができた。

 

私が社会人になった頃、兄が不思議なことを口にする。

それは何の話の中から出た言葉なのかは覚えていないが、本当の祖母ではないといったような、よくわからないはなしだった。私はそれ以上話を聞くことも受け流すことも出来なかった。

 

 

私が18歳の時、婚姻届を出す為に役所から戸籍謄本というものを取らなければならないらしく、初めて自分の本籍だとか戸籍だとかそういうものに触れた。

私の両親は私が物心つく前に離婚していたため、父親の名前すら知らなかった。

確かキムラだかキタムラだったかと、記憶が定かではなくて俺は元々キムラだから俺はキムタクなんだと学校の友達に言っていた事もある。

 

でも北村だった。

 

その頃に私の祖母は育ての親であって血の繋がった祖母ではなかったことを知った。

まぁすごくショックという事でもなかったが、すごくビックリした。

家族なかで自分だけが知らなかった真実らしいが、兄弟はいったいいつその事を知ったのだろうか?

何故自分にだけ隠していたのかよくわからなかった。でも決してそれを問い詰めることもしなかった。

 

 

それから十数年の月日がたち、余市町に住む祖父の親戚で家系図を作っている人がいるという話を聞く。

何だか解らないなりに私はその事に興味を持ったが、もう高齢だというその親戚とどうやって連絡を取り合っていいのかよくわからなかった。親戚付き合いが多い家系ではなかったし、私はどの人が釧路市に住む叔父さんで伊達市に住む叔母さんはこの人だ。などとそういった記憶が乏しく、まったくといっていいほど顔と名前が一致していないのだ。

 

でも何となく「家系図」という存在のことは気になっていた。

 

 

本当は学校で習ったことなのかもしれないが、私は大人になってから知ったことがある。

歴史的には北海道民というのは開拓するために本州の何処かからやって来た人達の集まりなんだという。

何処かとは何処なのか?さっぱり検討もつかなかった。

 

 

その事をまだ生前の頃の祖母に聞いて見たことがある。

祖母は美瑛町で生まれたらしいが、祖母の親は秋田県からやって来たらしい。

では祖父は?と聞くと、祖父は余市町だと言う。

余市町の前は?と聞くと、さあそれはわからないと言っていた。

 

 

私は自分のルーツが気になり始めた。

誰から聞いたか忘れたが、必ずその時代その時代にどこかに住む親戚の中には自分の直系の先祖を調べている人がいるという。多分余市町に住む高齢の親戚がその人だったのだろうと思うが私は結局なにも連絡をとれないまま、さらにそれから十数年経ってしまったものだから、その人が今、生きているのか死んでいるのかすらわからなくなってしまった。

 

 

私が北海道を離れ、最初の移住地である三重県に住んでから10年近く経つ。

 

三重県に来た当初はお城などの古い建物や東海道など歴史的な道を目の当たりにすると、自分でも信じられないくらい歴史に興味を持ち始めた。もっと歴史の事を学校で勉強していれば良かったと思うが、北海道民だった私に戦国時代などの話をしてもどこか遠い国の話を聞いているようで、いまいち実感がわかなかった。

 

三重県から滋賀県に向かう途中の看板に関ヶ原と書いてあったことは驚いた。

そうか関ヶ原は本当にあったのか。と当たり前のようなことを地元の人に言っていた。

 

色々な歴史を学ぶ中で、やはり気になるのは自分のルーツであった。

岐阜県には「近藤」という名前のひとばかりいる集落があると聞いたり、近藤という性は近江(今の滋賀県)の藤原から来たんだという話も聞いた。

 

 

そんなことを私の母親に話すと、私たちの先祖は「近藤イサム」だという。

イサムって誰だ?たぶん新撰組の近藤勇の事を言っていると思うが、同じ近藤だからってそれは違うだろう。母親の頭の中で近藤という名前の一番古い人の事を言っているだけだと感じた。

 

これでは埒があかない。

よし、誰も知らないのであれば自分で先祖を調べてみようと決めたのだった。

私はこれから壮大な歴史の旅に出掛ける事になると確信した。

まるでドラえもんのタイムマシンに乗ったような気分だ。

 

自分の先祖を調べる、自分のルーツ。

自分の先祖たちはいったいいつどこから北海道にやって来たのか?

そんなことを考えるだけで心がワクワクし始めた。