天津風の風景
それではみなさん手を合わせて
いただきま〜す。
こうして始まる天津風の食事は賑やかだ。
食事をしているおばあちゃん、おじいちゃんも好きな事を話し、
サポートをする介護士さんたちも好きなように言葉を返す。
中には一言も言葉を出さず、黙々と食べるおばあちゃんがいたり、
目を離した隙におしぼりを食べようとするおじいちゃんもいる。
ある時には、鮭の皮があまりにも好きすぎて、隣の人の鮭の皮を食べてしまったおばあちゃんもいたと言う。
人によってはお茶碗を持てずに口に入れてもらって食べたりするが、
基本的に自分でできることは自分でしてもらうのが天津風のスタイルだ。
私はこのスタイルが好きだ。
そして、ここには100歳のおばあちゃんがいる。
このおばあちゃんも自分で茶碗を持ち、自分で食べる。
時には話に夢中になり、食べることを忘れていつまでたっても食べないこともある。
食べ終わると歯を磨かなきゃいけなくて、イヤだ。ど〜こ連れていくの?や〜めて〜。と嫌がるが、
歯が3本しかない為、歯磨きはすぐ終わる。
それに気がついたおばあちゃんは、あれ?わたし、歯がないんだけど、歯医者に行こうか?あれぇ?と言って食器を片ずけている私に歯を見せてくれる。大きく開けた口の中には確かに歯が3本しかないから、私は、歯が生えてくるといいね〜。と返す。するとわっはっはと笑っておばあちゃんの顔がくしゃくしゃになった。
今日、そのおばあちゃんと話していると、
そういえば、あなた学校は?学校はどうしたの?と聞かれた。
いったい私がいくつに見えているのかわからないが、100歳からみればまだまだヒヨッ子なのだろう。
だから、私は、学校は卒業したよ。と答えたら、
あぁ〜、そうか。卒業したのか。と言って、また笑っていた。
この数週間で、少しわかったことがある。
私はみなさんにこの天津風の風景を味わってもらいたいが、
わ〜っとみなさんで押し寄せて、ここから何かを得ようとしても何も得られないと思う。
おじいちゃん、おばあちゃんは、常に自然体で生活している。
ここの風景は、あくまでも自然に起こる現象のようなもので、
良かれと思って、話しかけたり、アプローチしてもただ疲れさせてしまうだけだろう。
本当の意味で味わいたいと思うなら、何もしない事。
何もしないとは、ただ、突っ立って、ぼーっとして、いるわけではなく、
自分のしたい事、自分の好きな事をしている事である。
相手がどうとか、こうとか誰かのためにとか、こうしなければならないとかではなくて、
自分で決めた事をしているうちに、自然と言葉が入ってきたり、目に飛び込んできたり、頭に浮かんできたりするのだろうと思った。
多分多くの人が、そこを勘違いしている。
何かヒントを得ようと必死でアプローチしているが、得たいなら受け取らなければならないのだ。
私は、そんな事を考えながら料理を作っていたら
ひとりのおじいちゃんが私の方へ来て、顔を見ながら、おぉ〜。あなた覚えているよ。と言ってくれた。
私は、わぁ〜、覚えてくれた〜と思ってありがとうと言ったら、
あなた上之保(かみのほ)の郵便局にいた人だろう、と言っていた。
私近くで、美容師をやっていたものです。と挨拶された。
私は、おぉぁあ、ありがとうございます。と言って頭を下げた。
頭を上げておじいちゃんを見ると、
おじいちゃんはにっこり笑っていた。