風待ちの宿
三重県志摩市に小さな島がある。
県外の人にしまのしまに行くと伝えても首をかしげてしまう。
言葉にすると「志摩と島」では少しイントネーションが違うが、そもそも志摩市のことを知らない人からすれば何度か聞き返すようなところだ。
その島は「渡鹿野島(わたかじま)」という名が付いており、日本地図で見てもほとんど気が付かないような小さな島である。
四日市市から車で2時間半かかり、それから船に乗って3分で到着する。
駐車場は無料だが船代は120円かかる。
インターネットから予約をして、島へのアクセス方法を調べてみると色々と案内が出てきた。
なんだか冒険みたいだ。少しワクワクする。
ちなみに私たちが行く場所は志摩国分寺ではなく「風待ちの宿 福寿荘」である。
どうやらまともにカーナビで行こうとしても駐車場には辿り着けないらしく、このお寺に沿って行き、途中からはカーナビを無視して、目に見える案内板と黄色い回転灯を頼りに進むのだという。
さらには駐車場にはロープがかかっていて、宿に直通の専用電話機を見つけ、ロープを下げてもらいそこからは徒歩で船着き場まで進む。
船に乗りさえすれば、3分で島に到着し、宿もすぐそばにあるらしい。
確かにこれだけ見れば迷う人は迷うかもしれないが、私はこう言った類は得意というか好きなので、なんら問題はない。
したがってなんの迷いもなく港に到着したのだ。
すぐさま船は走り出し、そしてすぐさま島と宿は見えてきた。
的矢湾というリアス式海岸が並ぶ内湾となっているため、波は非常に穏やかである。
その環境を利用して、カキやあおさ海苔の養殖が盛んである。
この時はどうしてここが「風待ちの宿」という名前なのかわからなかったが、宿内にある説明を見てはっきり理解できた。
江戸時代ごろ、行商に出た多くの船は江戸と大阪を行き来していた。
今よりももっと長い日数をかけて行かなければならない為、その道中天候が悪化し波が荒れることも多々あったのであろう。
そんな時の避難場所としてちょうど半分あたりにあるこの内湾が選ばれた。
どんなに海が荒れていようともこの的矢湾はとても穏やかであり、さらに湾を奥に進むと伊雑宮(いざわのみや又はいぞうぐう)という伊勢神宮に関係する神社もあった為、参拝に来る人も多かったのであろう。
その的矢湾の真ん中に位置するのが渡鹿野島で、ここの港に船を止めて休んでいると、島の女たちが端切れと針を持って着物の直しなどをしてお金を稼ぎにきていた。
そしてそのまま一夜を共にしていたという。
この噂は江戸、大坂に知れ渡り、行商に向かう時は島で休憩することを楽しみにするようになったのだ。つまりこの島は売春島だったと言える。
もともと荒れた海を待つために「風待ち」をしていたものだが、いつのまにか目的が変わってしまった行商人も少なくない。まぁ色んな理由があるにせよ、この島は賑わっていたことに変わりはないのだ。
そんな歴史を感じながら私たちは愛合膳という30品を二人で分けあってねという食事をした。
これはほんの一部であり、この後、野菜や白身の天ぷらやふぐの唐揚げ、鯛かぶと煮、伊勢海老などを堪能した。お腹が膨れ上がるのも無理はない。
何せ私たちは米粒一つ残すことなく完食してしまったのだから。
つまりは美味しかったということである。
さらには温泉も4回入った。
1階と6階に2つ風呂があったため、あっちへこっちへと2回づつ入ったのである。
お湯がとても良い加減で、柔らかくずーっと入ってられるような温泉だった。
今までに入った温泉でベスト3に入るのではないかと2人の意見は一致した。
グラスワインやシャンパンのサービスも頂き、1泊二日とにかく満喫することができたのだ。
次の日、朝日が昇る前のこの海の静けさがとても美しく、朝日が上がりきるまで見続けていた。動画をとったり写真を何枚もとったりしたが、やはりこれは実際見ないとわからない美しさである。
私たちはしっかり朝食も食べて、最高の結婚記念日を終えたのだった。
最後、赤いハンカチで見送る姿が微笑ましい。
この旅館の仲居さんは高齢の方が多く、ほとんどが島民である。
この島にホテル(全て系列店)は3つあり島の人口は271人というのだから、ほとんどがホテルの従業員ということになるのだろう。
病院、学校、多分警察もなく、あるのは郵便局一つだけ。
車も島を歩いて見た限り3台くらいしかなかった。
すごいところだなぁ。
日本にはまだまだこういった所が多く存在する。
歴史も含め、色々といって見たいものだと感じた今日この頃であった。
なにはともあれ、みっち。8年間ありがとう。
そして9年目もよろしくお願いします。
タック