京都市@鳥料理専門店「あん」
「まずは鳥スープをどうぞ。」
京都市左京区に鳥料理専門店「あん」を紹介してくれたのはクニイちゃんだった。
クニイちゃんは仏画の先生であり、何年も前に札幌で知り合ったが、現在彼女が京都に住んでいて私たちが三重に住んでいることはお互い想像もできなかった。
本当に縁というのは不思議なものだ。
哲学の道近くにある「あん」に予約もなしでカウンターに座れたのはラッキーだ。
私が座る前では店主が肉を切り、串に刺し、味付けをしていて、女将が焼きを担当している。
焼き台は炭ではなく、遠赤外線を使ったもので、長さは約1メートル。
その上には他のお客が注文した串が並べられている。
主に臓物系が多くこのお店の人気商品であることを伺わせた。
遠赤外線の場合、炭火よりも煙は少ないが、お肉の焼けた香ばしい匂いは店内を包んでいる。
店主と女将、それぞれの担当があるのか?と思ったが
最終的な焼き加減の判断は店主に任せており、すべての料理は私の目の前にいる店主が握っていることはすぐに判断できた。
私はそういう目を持っている。
クニイちゃんは「あん」の他にも京料理が楽しめる蕎麦屋さんや、ハンバーグの美味しい洋食屋さんを紹介してくれたが、鳥料理専門店と聞いた時、私の目が光ったようだ。
それにしても鳥料理だけでこんなにメニューがあるものかと驚く。
焼き、揚げ、蒸し、刺身、鍋、すき焼きなど、多様に飛んでいて、メニューを見る目を飽きさせない。
「どうぞ鳥わさです。」
この鳥わさが出される時、店主は両肩を揺らすようにして何かを作っていた。
私からは手元が見えないため、何を作っているのかわからないが、リズムよく上下に揺れるその動きはまるで赤子をあやすようにも見えた。
鳥わさを和えている仕草だと気づくには時間はかからない。
食べてみると絶妙な和え具合であり、それはまさに私が考える空気の美味しさを作り出しているからだ。
多分店主は無意識にこの肩の動きを行っていると思うが、無意識ほど美味しい料理はないと知り合いの哲学者は言うし、太極拳の先生は無意識が達人の領域だと言っていた。
そして、この鳥蒸しが出てきた頃には、美味しさのあまりにお店に対する興味が湧いてくる。
「35年になります。」
「鳥専門でですか?」
「はい。祇園で見習いとして勤めていたことを入れればもっとですけどね。」
さらに店主は話を続けた。
「最近はね、店主と妻が逆になっちゃってるですよ。当初は私に威厳があったつもりなんですけど、いつの間にかそれが逆転しちゃって、妻が店主に見えて、私が女将に見えるってね。常連さんはおっしゃるんです。」
私は手を叩いて喜んだ。
「それは面白い。」
店主はお店の話を続けた。
「私はね良い師匠に巡り会えて、京都のお客さんに育てられたんです。祇園というところはね、特別な場所なんです。舞妓さんがいて芸妓さんがいてそこにお客さんがいて、みんなそこに誇りを持っているんですよ。」
「このお店は祇園から少し離れていますが、影響があるんですか?」
「祇園で修行した職人が京都でお店を開店するとなれば、皆さん一度は来られるんですよ。どんなお店だってね。それで全てが決まります。」
「全てとは?何がですか?」
「このお店は一流のお店か?それとも学生向けのお店か?ってね。京都という町はそれだけなんですよ。中途半端じゃ務まらなくて、どちらに向かっても受け入れられるんですけどね、中途半端だとすぐに消えてしまいます。」
私は店主に以前、焼き鳥を焼いていたことを伝えた。
だから色々なことに興味があると、鳥だけで35年続けてこられたことの尊敬であったり、鳥だけのメニューが豊富であることに感動していると思いを伝えた。
「京都の人は鳥が好きなんですか?」
店主は静かに答えた。
「昔はね、皆さん鳥を家で飼っておられたんですよ。自分の家で捌いてね食べておりました。ですからね鳥に対して抵抗がないんです。」
「お客さんは焼き鳥屋をやっていたと聞きましたが、病気の鳥は見たことがありますか?」
私はあっけにとられた。
「え?病気のとり?」
「鳥の中にはね健康な鳥もいれば病気になっちゃった鳥もいるんですよ。」
「はぁ、なるほど、人間と同じですね。」
「はい。今でいう普通の養鶏場ではね病気なった鳥は殺処分されてしまうんですけど、実はね肝硬変になった鳥のレバーは格段に美味しいんですよ。生で食べたらまるでチョコレートのような甘さと濃厚さがあるんです。」
「え!?本当ですか?それは食べてみたいです。」
「いや、今ではほとんど出回っていません。味を知っている人も少ないし、万が一出回ったとしてもあまりにも美味しすぎてお店の店主が全部食べてしまうでしょうね。実は私もその一人でして。」
「昔ねそれに目をつけた養鶏場の人がフォアグラを作るように、鳥をわざと肝硬変にさせて飼育したことがあるんですよ。でもね味が全く違うんです。つまり美味しくないんですよ。わざとだと。」
「つまりは普通の生活のなかで肝硬変になった鳥が本物だということですか?」
「レバーの部分ではですけどね。」
私と妻は目を丸くして見つめあった。
まさにその話はおのころ心平さんの言う「病気は才能」だということを物語っていると。
丁寧に育て上げられた鳥たちの中に肝硬変という病気になった鳥は、市場では売り物として扱われないらしい。殺処分されて家畜の餌になっているか、もしくは肥料として扱われているだろうと店主はいう。
しかしながら、その鳥の持つ才能は、他の鳥ではなし得ない領域に達し、わかる人にだけわかるといった幻の鳥となって、店主たちはその才能を探しているのだ。
なんという世界だろう。
そしてこの店主はどれだけの人に出会っているのだろう。
こうした店主との会話は私にとって何事にも代えられぬ贅沢な時間となっていった。
続く