43話 旅の仕方
サクレクール聖堂から少し大通りを歩き、メインストリートを探す。
そば粉のクレープで作られたガレットはフランスでは一般的な料理だ。
日本でも食べられるお店は多いが、本場のガレットはなにせ大きい。
横に居たカップルは2人で2枚をぺろりと食べていたが、私達は量が多くて食べきれず箱に詰めてもらいテイクアウトする事にした。
モンマルトルは私達にとってとても興味深い街だった。その興味の矛先はサクレクール聖堂やムーランルージュのような世界的観光スポットだけではなく、むしろ目線はその街並に向けられる。
建物の並び、お店一つ一つ、歩く人、食べるもの、匂い、空気、空間の間などあげればきりがないが目に見えるもの全てといっても過言ではない。歩きながら自分の興味センサーを敏感に働かせ、反応した物に近づき触り、観察し、匂いをかぐ。これをただ文章だけで判断し想像すればまるで「犬」のような、そう獣のような動きをしている事がわかる。
見逃せない。
何一つ見逃せない欲求を最大限使い効率的に動く。
もし、万が一にでも2人の呼吸が合わなければはぐれてしまう事も多々あるだろうが、幸い私達の感性はそれほどズレていない為、行き先でもめたり、やきもきしたりという事はなかった。
例えば、観光するにあたってガイドマップを見たとしよう。
そのガイドマップにはおすすめ観光スポットがびっしり紹介されていて、どれもこれも興味があったとする。そのときあなたならどうするか?夫婦やカップル、友達でもいい、誰かと行動する時あなたはガイドマップをどう使いますか?
大抵の観光客、旅行者なら自分が行きたい所に印をつけて予定を決めて、時間を考えながら観光するだろうと思う。私も以前ならそうしていたかもしれない。
しかし、私達は少し違う。
私達は、とりあえず歩く。
その街が観光スポットだらけで、面白そうならその街を歩くのだ。
少し違うのは、私達は観光スポットを目指して歩く訳ではない。
観光スポットがある街を歩き、たまたま通ったとか、近いみたいだとか、その時の判断でそこに寄るか寄らないかを決める。だから観光スポットありきでは無いという事になる。
見えた遠くにエッフェル塔があったから向かうのであって、最初からエッフェル塔を目指して歩く訳ではないのだ。こうする事によってその街並がいったいどういった街並で、私達が好きか嫌いかを判断する事が出来る。
エッフェル塔がどうあってもよくて、むしろそのエッフェル塔に向かう道はどれほど輝いて楽しく暮らしているかが気になるのだ。
その歩き方をすると、後からガイドブックを見て「あ~!ゴッホのアトリエに行ってない」「アメリの八百屋に行ってない」と行ってない所だらけになる。
とても行きたかったのに、今回行けていないとまた行きたくなる。
よって、何度も何度も魅力を見つけ、感動して次また行きたくなる理由を見つけていくのだ。
それで良い。
私はそれで良いと思う。
観光スポットを巡るだけの旅行はつまらない。
その街を知り、その人を知り、そうしてその街が好きになっていく事ほど素敵な事はないと思う。
日本でももちろん同じ事で、例えば伊勢神宮にいけば、外宮から内宮まで歩いて途中の色々な神社に入りながら向かう。それに魅力を感じるのだ。
ただ、外宮や内宮に行ったからといっても何も面白くない。
観光客のほとんどは内宮だけで終わる人も多いのだ。
外宮で案内しているというおじいちゃんがきちんと私達に説明してくれた。こうした道順があるんだよと。
毎回、同じ道順を歩く必要はないが、面白さは自分で発見していく事に旅行の醍醐味があると私は考える。