料理の記憶 9 「高級お寿司屋さん物語」 3章
お寿司屋さんというのは本当に厳しい職場だった。
毎日お昼の12時ごろ出勤。一番下っ端の私が誰よりも早く出勤するのが当たり前の事である。
まずはその日に届いた野菜の仕分け
野菜の種類で保存法は違い、その日に使うものと後から使うもので分けておく
先輩達が出勤した頃にはすぐに仕込みに取り掛かれるように準備しておく事が私ができる仕事であった。。
3時ごろ先輩達の出勤
今日の予約状況を把握し宴会などの献立を発表される。
自分が今何をしたらいいのかを決め、即座に行動し常にサーポート役にまわる。
この中でも毎日行われるのが「シャリきり」であった。
お寿司に使われるシャリをうちわで扇ぎながら大きな平杓子で切っていく。
きるのは先輩の仕事で私は扇ぐ方だが、
巨大な飯切の桶でお米をつぶさないように綺麗に切っていくとお米の波紋が広がっていく。寿司酢がしみこんでいき、お米にテカリが出てくる。
まさに職人技。
伝統継がれる一級技で他にも色々とあるがそれら全ての技は直接教わるものではないと教えてもらった。
「技は目で見て盗め」と教えられ、言葉ではない教えが毎日続く。
夕方5時からお店が開店する。
まだ調理が出来ない私はホールスタッフになり、直接お客様の注文などを受けて接する。
花形のアキさんはツケバに立ちお好みのお寿司を握りながら会話を楽しむ。
先輩のシンさんは主に中での調理。
汁物やアナゴの焼きなど多種多様な注文を一人でこなしていく。
親方は事務所。
たまに親方がお店に出てくるとドキッとする。
なぜかピリピリした空気が流れてしまうので、お客様も緊張。
出来れば出てこないほうがいいとまで思ったが絶対に言えない。
お座敷やカウンターにはどこぞの会社の社長達が毎日入れ替わりでお寿司を堪能する。
ススキノにも活気があった時代であった。
お店は夜の11時に閉店してからも、次の日の仕込みや後片付けに追われ、結局お店を出るのは夜中の3時になっていた。
休日は日曜日のみ。
毎日15時間働いて25日間。
これで給料9万円
日給にすると3.600円。時給にすると240円になる。
現在の最低賃金なんてくそくらえである。
しかしながら地獄のような日々にも安らぎはあった
極たまに、賄いでその日残った食材をお寿司にして食べさしてくれるのだ。
当時私はわさびが苦手で最初はさび抜きで。とお願いしてたのだが、そんな職人いるか!!とドヤサレ、出てくるのは大盛りわさび寿司であった。
お米よりわさびのほうが多いお寿司を涙流しながら食べていると、だんだんわさびが大丈夫になり、いつの間にかわさびがないと駄目になる。
かなり強引な教えだが一番手っ取り早く済むのは昔から決まっているんだと言っていた。
私は結局、親方とは打ち解けることが出来なかったが、毎日を過ごす先輩アキさんとシンさんが本当に面倒を見て私に一から教えてくれる。厨房には笑いがあり、殴られ蹴られしながらも何とか続ける事が出来た。
しばらくして、お店ににも人にもなれてきた頃、ある事件が起こる!