『僕の独り言~俳優とゆう仕事編~』 | 劇団FREE SIZE ◆ OFFICIAL BLOG
橋倉靖彦。いつも考えてることだけど、人間とゆう生き物は、常に人の目を気にする生き物だな…と、つくづく思う。もちろん自分も含めて。どんな職業の人もどんな立場の人も、老若男女…人の目、人からの評価、自分が他人からどう見えてるか、どう思われてるか、他人との比較、嫌われてるんじゃないか、嫌われたくない、人に好かれたい、自分のことを認めてもらいたい、これが正しい、あれは間違い、上手く出来ないといけない……等々。
でもそれは、この世に産まれたての時はそんな心理は働かないわけで、日々生きていく中で、大人になるにつれて、この社会に、その時その時の時代に、育った家庭環境に、今まで触れ合った人達に、大なり小なりあらゆる経験をしてきたこと…によって、段々とそうゆう物事の価値観を自分に無意識に植え付けていくわけだし、それゆえ人に対して大なり小なり壁も作ってしまうわけで。
でもそれは実社会を生きていくにはしょうがないことでもあって、「てめぇ、ぶっ殺してやる!」って本当は思ってても本当にそれを行動に出してしまうと犯罪になるわけで。
でも俳優とゆう仕事は、この社会での価値観、基準によって抑えこんであるそのあらゆる感情を出すのが仕事で(出し方や表現の仕方は戯曲や脚本や演出によって変化するが)、そのフィールドの中で自在に、自由にその感情を操れるようになるようでないとアーティストではないと思っている。
ミュージシャンはギターやピアノ等の楽器を使って表現する。
画家は絵の具や筆等といった楽器(道具)を使って表現する。
俳優にとっての楽器は自らの肉体と自らの感情であって、それを自在に操れないといけない。
その為には自分とゆう楽器をよく知らないといけない。そしてよく調律されてないと脚本や演出に従って自在に弾きこなすことは出来ない。自分の肉体は目に見えるものだからまだ操れるが、厄介なのは感情だ。
あ、やばいあせるここから先は長くなるので、やめときますあせる
しかし、アートってゆうのは制約の中の自由、例えばボクサーは(これはスポーツだけど)、リングとゆうフィールドの制約の中で相手を殴る。殴れば殴るほど観客から称賛を得るわけで、これを実社会でやってしまったら犯罪になるわけで。
俳優は演劇で、またはカメラの前とゆうフィールドの中で感情を出せば出すほど観客から称賛される仕事だ。もちろんさっきも言ったように、演出等によって感情の出し方、表し方は変化するが、しかしそれが許されるアーティストだ。
僕が目指してるのはそこで、そうゆう俳優になりたい、と思ってる。
そうゆう意味で、今あるこの場、エクスィードアルファとゆう事務所、マネージャーさん達、劇団フリーサイズの稽古場、そこで出会えた人間達には本当に感謝してる。
あの稽古場は僕にとってのクリニックみたいなもので、息詰まった自分、又は行き詰まった自分、誤った方向に行きかけてる自分が、軌道修正するための場でもある。
何より、そうゆう広い心構えで門戸を開いている劇団主催のいよく直人には感謝してる。
フー~…、そろそろ…酔っ払ってきたので、今回のブログ独り言はここらへんで終わります…。
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