いつもありがとうございます。

さて本日は、白鳥哲・はせくらみゆき著「魂の約束」より、ご紹介します。

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はせくら 

赦しについてですが、表面的に赦したつもりになっているのと、

どこまでも本気で赦しの領域に臨むということの間には、

大きな違いがあると思います。

この相違について、もう少し詳しく教えていただけますでしょうか?

 

白鳥 

それは、知識と体験の違いとも似ています。

頭ではわかっているという知識と、魂に刻まれるような実体験とでは、

やはり雲泥の違いがあるのです。得るものの違いといいますか。

命がけになるというのは、魂に刻み付けるような行為ですよね。

例えば、苦しいときには、本気になって苦しみ、

悲しいときには本気になって悲しむ。つまり、味わい尽くすということです。

自分が感じているものを味わい尽くすことで、本当の「気」が入るのだと思います。

この場合の味わうという行為では、傷つき痛みを伴うこともありますから、

そこを避けるような作用が心の中で起きることも多い。

けれども、そもそも自分が感じているものですから、

避けるよりもむしろ受け入れてしまった方がいいのです。

無駄な抵抗なせずに、降参してしまった方が早いのです。

 

それが何であれ、真正面からぎゅっと抱きしめちゃった方がいい。

その抱きしめにいくのが、本気さですよね。

命がけで抱きしめにいくから、「相手は敵ではなかった。

悪でもなんでも無かったのだ」ということを理解できるのです。

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脳腫瘍で生死を彷徨う体験をし、

「その絶望の海を泳ぎ切ろう!」と決意されて、

実際に、自分自身を真正面からぎゅっと抱きしめ、

本気になって、今ある状況を味わい尽くした白鳥さんの

言葉だから、説得力があります。

 

百聞は一見にしかずと、いいますが、同じように

いくら頭でわかっていても、実体験がなければ身につかないのですね。

 

私もいくつもの、一見、逆境とか不運とか失敗と思えるようなこと

をたくさん経験してきましたが、それが今

自分の実体験、血となり肉となっているなぁと感謝できるのです。

命がけで抱きしめにいくから、

「相手は敵でも、悪でもなんでも無かったのだ」と思えるのですね。

ものすごい気づきをありがとうございます。

 

私もおそらくこれからも、いろんな出来事が起きると思うのですが、

全てに意味があり、それを避けるのではなくて、それを楽しみながら、

ぎゅっと抱きしめて、本気で味わい尽くすを実践していきます。

 

 

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