ときどき無性に旅に出たくなることがある。
成田空港でラウンジから搭乗口へ向かう途中で撮ったこの写真を見ながらそう、思った。

でなければ、ズミクロン、というライカ伝統のレンズは発売当初からコントラストが高く、緻密な絵が得られることで有名で、ちなみに上の写真を撮った次のショットは下の絵だ。

そういえば昔、銀座で写真展をやったときに私の絵を見た、ライカレンズに関して詳しそうな方は、その絵を見て「これはズミタールの絵ですか?」と聞いてきたが、それは実はライカM3に50㎜のズミクロンで撮った、私がライカM3を手にして一番最初に撮った撮影フィルムの中の1枚であったから、その先輩のご意見は不正解だったことになる。「ライカで撮った」と言った私に対して、その人がそう答えた理由は簡単だ。その50㎜ズミクロンは初期型ズミクロンの、それもアメリカものになぜか多い、前玉を拭きすぎたかのような全体的に擦り傷のあるレンズだったから、だろう。某カメラ修理店がかねてよりズミクロンの前玉の交換レンズを持っているように、初期型ズミクロンの前玉がその柔らかさから傷つきやすいのは有名な話なのだ。だがその擦り傷でコントラストの下がったズミクロンを私は気に入って使っていた。直せるとも思わなかったし、直す必然性も感じてなかった、というのもある。しかし昨年、そのレンズを手に入れてから10年以上たって私は修理した。大学時代から雑誌ではお見かけしたことのあった、レンズの神様にこの35㎜ズミクロンを直していただき、それに感激したので予定とおり2本目は50㎜ズミクロン、と思っていたからだ。
今年の前半は月に1度、ときに2度は海外へ仕事で出かけた。上の写真もそんな夕方発の成田便に乗り込む前に撮ったものである。この時間にサテライト側へ渡る廊下を歩いていると、いつもカンタス航空のジャンボが見えた。オーストラリアに住んでいたことのある私にとってカンタス航空は何か一種のノスタルジーと親近感を思い出させる。しかしそこで鞄からカメラを取り出してシャッターを押させたその正体とは、それこそが旅の気分である。これから出発する、という高揚感。ときに旅慣れてしまうと失われてしまうこの新鮮な感覚は、しかしそれが仕事であれプライベートであれ一人旅のときにより感じられることが多い。一緒に行く人がいないことで生まれる期待と不安。それを口に出せないとき、私はカメラを取り出してシャッターを切ることが多いような気がする。そのときのカメラは私の場合、ここ10年以上はたいていライカだった。それが一番の相棒だったからだ。フィルムさえあれば電池切れとか、撮れない心配をする必要がなく、夜景でも手持ちで撮れ、押した瞬間に何の電気的作用もオートフォーカスする時間もなく、機械の仕組みにのみ乗っ取ってシャッターが切れるカメラ。それはデジカメがどれほど高性能になっても得られない感触であり、私の旅の相棒に欠かせないものである。
今年後半はたぶん、もうあまり出張に行くこともないだろう。そうなると月に2回も上の光景を見ていたころが懐かしくなる。またライカを首から提げてあそこへ行って、いつも変わらぬ光景ではあるが、自分の旅への期待と不安の気持ちを抑えてシャッターを押したい。これが今の私の旅の気分、である。