探しているもの、というのは時に急に見つかるものである。

このことを私は毎日のように中古レコード屋巡りをしていた中学生のころから発見していた。それは毎日行くから見つかる、というようなことを言っているのではない。毎日行ってもないときには全くないものが、あるときにハタと見つかったりするのである。それも見つかるときには連鎖する傾向がどうにも私の場合にはあって、つまり金に困ったりすることがある、ということである。そういうときには仕方がないから熟考する必要がある。どれが今必要で、今しかなさそうなものなのか。どれならば今持っているお金で買えるのか。つまらない話だが、それを間違うと次いつ出会えるか分からなかったりした。

ここで、した、と過去形で呼んでいるのは、21世紀のインターネット時代になって様相はやや変わったから、である。今まで自分の身近な範囲、あるいは自分の足で探せる範囲でしか探せなかったものが、ネット上ではいつでもどこでも探せるようになったから、である。これによって世界は飛躍的にその距離を縮めたと言える。日本から世界の裏側で売られているものを瞬時に入手することは難しいことではなくなったし、その逆も可能になった。例えば1970年代のスーパーカーは一度日本へ出てしまうと、欧米のコレクター達に知られることは基本的にはなかった。それは「行方知らず」の扱いだったのである。しかし今やスーパーカーはネットで探せる時代である。それもネット上の翻訳機能によって、何語であったとしてもそんなに苦労することもない。電話して話をしないといけないのとは訳が違うのだ。おまけに支払いもカードで瞬時にできる。郵便局へ行って為替送金していたころとは本当に時代が変わったのだ。

しかし個人的なネットワークを別にして、モノを買おうとすると売っている人から買うことになる、のは基本的には昔も今も同じ、である。ただ現代はその売っている人、が必ずしもそれを専門に商売している人、とは限らず、個人同士が売買するようになった点で大きく異なる。事実私の娘などはしょっちゅう、小物を売ったり買ったりしている。無論本人は欲しいものを買って、いらなくなったものを売っているだけだから、商売しているつもりなど毛頭ないだろうし、実際何かの儲けにもなってないだろう。しかしここにモノを売りたい人を買いたい人、それを個人的なネットワークといった小さな世界から、開かれた世界にした、それもネット時代の功績の一つ、と言える。

さて、では膨大な情報網であるネットからあれこれ知ったとして、欲しいものがあったとして、それはどうやったら買えるのか。先に述べたように、まずは売っている人、売られているものを探さねばならない。ネット時代が進展した今でも不思議なのは、売ります、のサイトは多種多様あれこれあるのに、買います・買いたいというサイトが少ないことである。私のようにあれやこれやに興味があれば、欲しいと潜在的に思っているものはリストにするほどある。もちろんいつでも買いたい気分なわけではないが、しかし欲しいと思ったときにいくらネットだろうが実店舗だろうが探しても見つからないとき、というのがママあるのが実態だ。その逆もあって、冒頭に述べたように探してるものが急に見つかる、そういうこともまた、ママあるのである。

実際には諦めることなく、コツコツ毎日探していれば見つかる可能性は当然高い。ネット上にはロレックスのデイトナを毎日正規店を回って入荷するまで探し続ける、デイトナマラソンと呼ばれるものを実際に行い、それを毎日Webに報告されているような強者までいるが、そこまでではなくとも、私も毎日ネット上で何かしらのキーワードを入れて探しているものがあったりする。

それは決して高くてレアなもの、とは限らない。だが安い高い、レアかどうか、に関わらず見つからないときには全くないし、見つかるときにはあっけなく見つかったりするものだ。例えば最近手に入れたものであれば、私は社会人になってすぐに買ってほどなくして失くした、古いジッポのライターを探していた。古いジッポ、というだけなら何年式であっても箱入りの時にデッドストックで見つかるが、探していたのは007、ジェームスボンドの刻印がされているジッポである。これを私はたまたまとある店で見つけて買って、気に入って使っていたのだが、どういうわけかすぐに失くしてしまい、以来同じデザインのものを見つけるまでに25年ほどかかった。しかし最後には見つかった。1品生産ものでない限り、ある程度世の中に大量生産されたもの、は何とかして見つけることはできる。

これがカメラ関係の話であれば、ライカビットMPはときに売り物はあるものの、現実的に買えそうな値段でないので、買えそうなものが売りに出るまで探し、5年ほど、ただしほぼ毎日探したら見つかったので無事購入した。あれも思えばオーストラリアに住んでいたときにスウェーデンから買ったので、ネット時代の恩恵でしか、ない。
今日私が古本屋で見つけたもの、とはもっと稚拙なもので、過去に発売されたが買い損ねていた雑誌や本、である。一つはエイ出版社がかつて発行していたカメラマガジン、というムック本で、No.19までの19冊のうち、どういうわけかNo.17を買い損ねていた。今調べてみたら2012年の刊行、である。すぐに見つかるだろうと思っていたが、何と今日まで売り物を見ることがなかった。もっと真面目に探せばみつかっただろうが、思ったよりも売り物で出会うことがなかった。

同じようなもので、同じくエイ出版社がそのカメラマガジン、の前に刊行していたものにライカ通信、がある。こちらはNo.15が予告されていながら、ついに発売となることはなく、そのままカメラマガジン、に体裁を変更して刊行された。ライカ通信は私がライカM3を手に入れて、ついにライカM型と写真の世界に入ったころにはまだNo.7くらいだったから、本屋で新品で順次購入していった。で、結局最近に至るまで、No.5以降しか持っていなかった。No.1~4はいつか買おう、と思っていたら今になった。実際こちらはネット上で売り物は今でもあるものの、ライカというマニア性が入っているからなのか、安いとは言えない値段だったりする。私が思う中古品はそれがどんなものであっても、定価の半額程度、が購入するには適正で、時に定価よりも高く値付けされるものについては、本当にそれだけ払っても買う価値が自分にあるのか、を熟考せねばならない。

それが昨日から今日にかけて、ライカM2の修理のために2度も銀座へ出かけたこともあり、ついでに覗いた古本屋で、ライカ通信のNo.2,3,4は定価の半額以下で見つかってしまった。それも別々の本屋、別の時間に、である。だから見つかるとき、とはそんなもの、なのだ。No.4を見つけた本屋ではまた別の探し物も見つかった。それは探している、というよりは心の中の欲しいものリストの下のほうにあったものだったが、ふと古本屋の棚を見ていたら見つかった。もちろん定価の半額程度、マニアならば泣いて喜ぶだろう(ネット上では定価の数倍、で出ていることが多い)。私も泣いて喜んだ(笑)。

おかげで今日は本というのか、雑誌を数冊家に持ち帰る羽目になった。問題は合計しても数千円の支払ったお金ではなく、もう隙間のない自宅の本棚のことだ。これからそれらをどう整理して押し込むか、を考えねばならない。
