今朝は霧の朝を迎えた。
こんな日は風も出ず、穏やかな1日である事が多い。
でも、動物達が動かない、こんな日は釣れません(笑)
さてさて、ママさん達から心の叫びが届いた。
「何故、旦那には私達の声は届かないの?」と。
チビは答えた、「大半の男は女性を所有物にし、自分より低い位置に置きたがる。そして要らないプライドが邪魔して素直になれず、自分より低い位置の者の声は聞かない。つまり向上心がなく、自我と本能、感情に支配される生き物だからね。それらに実年齢は関係ありません、彼等には年齢が一回り上の貴女達の声さえ届かないのではないですか?」。
ママさん達:「そうなの! 誰の声なら届くの?」
チビ:「自分より高い立ち位置の人、つまり会社の
上司や尊敬する男性、父親の声なら届きます」。
ママさん達:「そんな人は何処にも居ません。
チビさんじゃ駄目なの? 説教してよ!」
チビ:「私では駄目です、彼等にその様に接しては
いないから。そして、その時が来なければ…ね」。
ママさん達:「それじゃあ私達はどうしたらイイの?」
チビ:「その時まで待ちましょう。その時まで
私が彼等の罪を背負い、貴女達の話を聞きます」。
こうして聞き屋は終わった。
本能と偽りの自我に支配され、精神の奴隷と化した
旦那達…、その実は、それらに支配されて苦しみの
中で生きており、解放されたい事を知らない…。
彼等は己を知らなければならない。
彼等には今すぐ救いの御手が必要で、それは聖書でも
語れない心の世界。でも、今はその時じゃない…。
そして、その御手は私ではない気がする…。
示しが与えられないから…、残念です…。
今回は、そんな救いのタイミングについて話すよ☆
……………ここから……………
ある少年が川に落ちて溺れていました。母親が助けを求めていると、一人の青年が走って来ました。しかし、その青年は溺れている少年を見つめるだけです。母親が助けて下さい!…哀願しましたが、青年はただ立って眺めているだけでした。しばらく浮き沈みを繰り返した少年は、とうとうグッタリして水の上に浮かびました。すると、青年は川に飛び込んで、少年を無事に救出しました。
なぜ直ぐに助けてくれなかったのですか?…と尋ねる母親に青年は言いました。「もがいている息子さんに近付けば、救助する者も一緒に溺れ死んだ事でしょう。人は溺れると酷く興奮して、近くにいる人に必死にしがみついてしまうので助ける事ができません。完全に力が抜けた時が、最も良い救助のタイミングなのです」と。
……………ここまで……………
何が言いたかったかと言うと、
「人は自分の意思や努力、力や自信を信頼している
時は救えない…」。
「自分の力を信頼せず、他のものを信頼して力を
抜いた時、初めて救いが成し遂げられる…」
という事です。
人を救いたいと思うのであれば、
タイミングを見極めなければなりません。救いの手を
差し伸べるタイミングを外せば、お節介と疎まれます。
では、救いのタイミングじゃないから見捨てるのか?
…と言うと、そうではありません。ただ待つのです。
救いのタイミングが訪れるまで待ち続けるのです。
愛とは、信じること。愛とは、待つこと。
救いのタイミングが訪れるまで信じて待ちましょう。
そうして人を愛し、救いの手を差し伸べましょう。
by たまには真面目に書いてみたチビでした(笑)。



