あああ、
誰かノセイ、
何かノセイ、
社会ノセイ、
セクシュアリティのセイ。
情けない。
なでしこジャパンの試合前の宣誓に女性差別だけでなく性的指向についての言葉が含まれていてちょっと感動。
人は自分をどう見ているか?
潜在意識が自我を構成している。
そして潜在意識は明らかに、幼少時代からの日々の積み重ねで、つくられていく。優柔不断な人ね、あなたは~な人ね。
そういわれる度に、自分というもの(潜在意識)は作られていく。
だから、自分が自分のことをどう見ているかというセルフイメージがゆがんでいる人は、自らが変われば世の中の見え方が変わることをしらない。
もちろん、トラウマになってしまう、PTSDになってしまう。トランスだ、セクシュアルマイノリティだ。貧乏で生活も大変だ。
いろんなマイナスになっていることが自分のまわりにあるかもしれない。
でも、それは、誰かのせいではない。
確かに、政治も社会もマスコミも少し、いやだいぶゆがんでいるように見えるかもしれない。
でも、それほど、愚かしいばかりではないはずだし、実際そうなのだ。
昨今は、情報があふれていて、判断力が求められる。
新聞やテレビの報道を信じていれば良い、古きよき時代は終わった。
ネット上にあふれる雑多な情報の中から、自分なりに正しい?情報を受け取っていかなければならない。
事柄が大きすぎて、にわか「評論家」があふれている。
誰だって、自分の視点からしか物事は見れないし、訓練して、俯瞰的・鳥瞰的にものをみたり、歴史や、文学から学ぶことはできても、ひとつ意見、極論を言えば、その人自身の生き様にほかならない。
もう、時代は個々人および、チームの時代だとおもう。
評論はもちろん自由だが、評論の評論など、ただの言葉遊びにすぎない。
何がいいたいか。
結局、これは自分に対して言っているのだが、結局何を考えたか、何をおもったか。ということは実際上たいしたことじゃない。
ビジネスを自分でやっていておもうのは、結局は前向きな「行動」によってしか、自分も、自分のまわりも、しいては世界も変わらないということ。
もちろん、考えなしに何をしても良いってわけじゃない。
世の中には、一応、習慣とかルールってやつがあるんだから。
でも、それはそれと客観的にみることも大事。守ることで守られるのもまた事実。
たとえば、赤信号を渡ったて、車がこなければ大丈夫だけど、青信号なら、絶対ではないけど、信号を守ることが自分の身を守ることになるしね。
だから、
いい加減、誰かのセイ。社会のセイ。~企業のセイにするのはやめよう。
足の引っ張り合いもいい加減やめませんか?
もちろん、理不尽な行為に抗議することは大切だけど。
それに終身していたら、疲弊してしまうこともまた事実。
だれとでも仲間になれるわけでないのもまた事実。
だから、自分と思いをともにできる人と
きょうも自分にできることを1歩だけ、前に向かって、未来に向かって行動しようとおもう。
そう、結局行動した結果が、自分の生活を、自分の生きてる社会をかえていくのだから。
もちろん、一人でできることに限界はあるんだけどね。
だからこそ、誰と一緒に、何をするかっていうのはとっても大事。
前を向いて、おきてしまった過去にとらわれすぎないように、未来を向いてね。
そう、こんな堅苦しい日記でも書いて、自分の考えを表明すること、仲間となれそうな人と出会っていくこと。
これも行動の1つだとおもうんだ。
私は、将来的にはやっぱり、大きく言うと教育。でも、もっと小さい単位のトレーナー的な役割をしたい。
一人一人が、前を向いて、行動していけるような、未来に希望があるような世の中にね。
マスコミは、ネガティブな報道、恐怖を煽るような報道しかしてないのだから。
でも、今までだって、人の英知で乗り越えてきたとおもうんだよね。
それが、最善ではなかったにせよ、むしろ誤りだってあったとおもう。
だから歴史や文学や、様々な研究的な知識はとても大事。
でも、それを使いこなすのって実はすっごくむずかしい。
だからこそ「行動」どうすのかっていう責任が伴うんだとおもう。
それには、どういう発言をするかも含まれている。
ネット社会は、過去の発言も含めて検索できちゃうからね。
うっかり言ったことが...なんてあるから。
でも、無名の匿名の評論家だけにはなりたくないな。
内容がループしてきたので、行動に移ります。
1歩の前進(後退だと気がついたら、やり直せばいい。)それが今自分にとって大事なこと。
誰かノセイ、
何かノセイ、
社会ノセイ、
セクシュアリティのセイ。
情けない。
なでしこジャパンの試合前の宣誓に女性差別だけでなく性的指向についての言葉が含まれていてちょっと感動。
人は自分をどう見ているか?
潜在意識が自我を構成している。
そして潜在意識は明らかに、幼少時代からの日々の積み重ねで、つくられていく。優柔不断な人ね、あなたは~な人ね。
そういわれる度に、自分というもの(潜在意識)は作られていく。
だから、自分が自分のことをどう見ているかというセルフイメージがゆがんでいる人は、自らが変われば世の中の見え方が変わることをしらない。
もちろん、トラウマになってしまう、PTSDになってしまう。トランスだ、セクシュアルマイノリティだ。貧乏で生活も大変だ。
いろんなマイナスになっていることが自分のまわりにあるかもしれない。
でも、それは、誰かのせいではない。
確かに、政治も社会もマスコミも少し、いやだいぶゆがんでいるように見えるかもしれない。
でも、それほど、愚かしいばかりではないはずだし、実際そうなのだ。
昨今は、情報があふれていて、判断力が求められる。
新聞やテレビの報道を信じていれば良い、古きよき時代は終わった。
ネット上にあふれる雑多な情報の中から、自分なりに正しい?情報を受け取っていかなければならない。
事柄が大きすぎて、にわか「評論家」があふれている。
誰だって、自分の視点からしか物事は見れないし、訓練して、俯瞰的・鳥瞰的にものをみたり、歴史や、文学から学ぶことはできても、ひとつ意見、極論を言えば、その人自身の生き様にほかならない。
もう、時代は個々人および、チームの時代だとおもう。
評論はもちろん自由だが、評論の評論など、ただの言葉遊びにすぎない。
何がいいたいか。
結局、これは自分に対して言っているのだが、結局何を考えたか、何をおもったか。ということは実際上たいしたことじゃない。
ビジネスを自分でやっていておもうのは、結局は前向きな「行動」によってしか、自分も、自分のまわりも、しいては世界も変わらないということ。
もちろん、考えなしに何をしても良いってわけじゃない。
世の中には、一応、習慣とかルールってやつがあるんだから。
でも、それはそれと客観的にみることも大事。守ることで守られるのもまた事実。
たとえば、赤信号を渡ったて、車がこなければ大丈夫だけど、青信号なら、絶対ではないけど、信号を守ることが自分の身を守ることになるしね。
だから、
いい加減、誰かのセイ。社会のセイ。~企業のセイにするのはやめよう。
足の引っ張り合いもいい加減やめませんか?
もちろん、理不尽な行為に抗議することは大切だけど。
それに終身していたら、疲弊してしまうこともまた事実。
だれとでも仲間になれるわけでないのもまた事実。
だから、自分と思いをともにできる人と
きょうも自分にできることを1歩だけ、前に向かって、未来に向かって行動しようとおもう。
そう、結局行動した結果が、自分の生活を、自分の生きてる社会をかえていくのだから。
もちろん、一人でできることに限界はあるんだけどね。
だからこそ、誰と一緒に、何をするかっていうのはとっても大事。
前を向いて、おきてしまった過去にとらわれすぎないように、未来を向いてね。
そう、こんな堅苦しい日記でも書いて、自分の考えを表明すること、仲間となれそうな人と出会っていくこと。
これも行動の1つだとおもうんだ。
私は、将来的にはやっぱり、大きく言うと教育。でも、もっと小さい単位のトレーナー的な役割をしたい。
一人一人が、前を向いて、行動していけるような、未来に希望があるような世の中にね。
マスコミは、ネガティブな報道、恐怖を煽るような報道しかしてないのだから。
でも、今までだって、人の英知で乗り越えてきたとおもうんだよね。
それが、最善ではなかったにせよ、むしろ誤りだってあったとおもう。
だから歴史や文学や、様々な研究的な知識はとても大事。
でも、それを使いこなすのって実はすっごくむずかしい。
だからこそ「行動」どうすのかっていう責任が伴うんだとおもう。
それには、どういう発言をするかも含まれている。
ネット社会は、過去の発言も含めて検索できちゃうからね。
うっかり言ったことが...なんてあるから。
でも、無名の匿名の評論家だけにはなりたくないな。
内容がループしてきたので、行動に移ります。
1歩の前進(後退だと気がついたら、やり直せばいい。)それが今自分にとって大事なこと。