中学生になる娘とわたしは、よく喋ります。
娘の意見を全て肯定してあげようと思いながらも、親心でついついアドバイスしてしまうこともあって、
そうすると「アドバイスは聞いてないから!」と娘に一喝されるたびに反省するのだけど、
そんな時間が、有意義で心の底からありがたく思うのです。
というのも、
わたしは母親に、思ってることを言えなかった子供時代を送っていました。
言えなかったのは「どうせ話を聞いてもらえない」とか「どうせ冷たくされる」と思っていたからで、自分から話しかけようという選択肢がなかったのだけど、
当然、母親からも「最近、学校はどう?」なんて話しかけられることもなかったから、会話らしい会話がなくって「わたしに興味がないんだな〜」ってなんとなくいつも寂しかったんですよね。
「興味がない」ということは、
わたしがいても、嬉しくないってこと?
生まれてこなければ良かったってこと?
って、子供ながらに思ってたんだと思う。
(その当時はそこまで深く考えていなかったけれどね。)
そんな寂しさを抱えたまま、大人になっちゃったもんだから、
目の前の人に好かれるためには、
自分の感情を出さないで、
相手に合わせていればいいのだ!
という、大きな勘違いをしたまま、人生を過ごしてきてしまった。
そんな大きな勘違いが、自分の人生に大きな影響を与えていたと知ったときの衝撃と、
単なる「母親との会話」がないだけで、人生にそんなに影響ある?!っていう驚き。
兎にも角にも、子供にとって、親の影響って必ずあるし、
親から子へ、ありとあらゆるものが連鎖するって考えると、子育てって怖いと思った。
でも、親としての責任があって、自分に何ができるのだろう?と考えたとき。
「自分がされてイヤだったことはしない」という反面教師なやり方で「自分がしてほしかったこと」をしてあげればいいんだと思ったのです。
それが「いつでもあなたの話をちゃんと聞きますよ」という姿勢でいる母親でいることでした。
わたしが思う「いつでもあなたの話をちゃんと聞きますよ」という姿勢というのは、毎日楽しいねって、気楽に笑ってるお母さん。
いつも機嫌が良く、にこにこしてるお母さんの姿です。
そして、自らも話しかける。
なんでも話してくれるお母さん。
それだけで、子供は安心すると思うし、安心できるから、子供もどんなことでも話をしてくれるんですよね。
それに日頃から会話があれば、一人で悩むことも減るだろうし、いつでも味方がいるって感じることができれば、子供はそれだけで心強いと思うのです。
子育ての正解はないけれど、
自分が子供のときに「されてイヤだったこと」を思い出して、自分が「してほしかったこと」をしてあげる反面教師なやり方は、理にかなってるなぁと実感しています。
昨日の夜ごはん。おでんの季節ですね。