モラハラだ!

全部、相手のせいだ!と、

被害者意識がちゃんとあったからこそ

「逃げる」選択ができたのだと思う。

 

 

 


でも、別居4年目の今。


「あれは被害妄想だったのかもしれない」と

ふと思うことがあるのです。

 

 

 





 

モラハラという言葉って、

被害者と加害者がいて成り立つ言葉だけど、

 

 


被害者側が、

自分を正当化したり、

相手を責めたりするために使う言葉ではなく、

 

 

自分の追い詰められた精神状態を、

客観的に把握するためのもの


と、思うのです。

 

 

 


モラハラされてる(被害を受けてる)

渦中にいるときって、

洗脳されてるし、

慢性的なストレスで、

物事を深く考えられなくなるんですよね。

 

 

 

 

自分では考えてるつもりでも、

何を考えているのか分からない状態で、

考えている、みたいな。

 



でも、

モラハラという言葉があるおかげで、

自分は被害にあってるんだ!!という

自覚をしっかりもつことができたし、

 

 


 

相手を悪者にすることで、

自分を「えん護(敵から守る)」しながら、



そこから這い上がろう!という意識が芽生えたのも事実で。

 

 

 

逆に、



わたしにも悪いところがあるし。。。

相手には良いところもあるし。。。



と、被害者モードが弱かった頃は、

解決策を見つけられなかったというか、

見つけようともしてなかった気がします。

 




正直いって、

モラハラのことを調べれば調べるほど、

知れば知るほど、

分からなくなりました。

 

 


 

被害妄想だったのかもしれないと思うのも、

正直ちょっと、どうかと思うけど。(苦笑)

 




でも、

 

  

 

万が一、被害妄想だったとしても、




被害妄想で苦しんでいる自分の気持ちは本物だと、自覚することに意味があると、わたしは思う。

 

 

 

 

自分の心の傷は

自分にしか自覚できませんもん。





どんな事をされたかよりも、

まずは自分がどう感じたのかが重要だと思う。

 



モラハラという言葉は、

自分の追い詰められた精神状態を自覚するためにあるのだと思う。


 



今、ここに書きながら、

被害妄想だったと思える自分に対して、

「完全に覚醒できたのかもね」と思っています。