「理想的な土地に建てる、理想的な城──。ひと言で申せば、殿の『 夢の居城 』を築くのでございますね」

 

「夢の居城か……はははっ、そうじゃな。まさに夢の城じゃ」

 

「殿の夢の御完成を、私も心待ちにしておりまする」

 

そう告げて信長に頭を垂れてから、三年後の天正七年(1579)五月。

 

信長の夢の居城・安土城は、内装工事がまだ途中ながらも、一先ず落成の日を迎えたのである。

 

広大な城内には色鮮やかな天守閣を中心に、贅を極めた本丸、二の丸、三の丸の御殿が曲輪に設けられ、

 

城山の中腹には、信長が自らを御神体としたが建立されていた。【香港植髮價錢】小心平價陷阱! | 方格子

 

城の敷地内には、まるで社宅のように家臣団が住まう屋敷なども建てられており、

 

その万事が手抜かりなく壮麗で格式高い造りとなっている。

 

特に、山頂に 』とも称される安土城・天守閣は、壮大かつ、別格な美しさを誇っており、

 

地下一階、五層七重という雲にも届かんばかりの異例の高さと、その外観の華やかさが見る者を圧倒したという。

 

天主の内部は、下階から地上三階までが大きな吹き抜けになっており、

 

二階部分の吹き抜けには舞台、三階には橋までも架けられていた。

 

最上階は全て金で彩られた豪奢さであり、その下の階は八角形の朱塗りで、

 

中は狩野永徳と、その弟子たちが描いた絢爛な障壁画で飾られていたという。

 

岐阜にいた頃より、ポルトガルから来たキリスト教・のルイス・フロイスや、

 

巡察師のヴェリニャーノなどと交流が深かった信長は、彼から見聞きする西洋の文化や、聖堂の絵図などから着想を得て、

 

これまでの城郭建築の常識をす、まさに前代未聞のを居城を造り上げたのである。

 

「──皆々、の御起床じゃ。早々に朝のお仕度にかかられよ」

 

寝室を出た(三保野)が、隣室で待機していた侍女衆に指示を出すと、

 

女たちは「ははっ」とに低頭し、

 

まるで巣穴を突っつかれた働き蟻のように、慌ただしく御座所内を動き回り始めた。

 

 

濃姫の御座所は、安土城・奥御殿の北東部に位置しており、奥向きの中では最も広いスペースを占めている。

 

御居間、寝所、衣装・化粧の間などに加え、父母の位牌を安置する専用の御仏間から、茶室、御対面所、

 

侍女たちが控える溜の間なども備えており、その部屋数の多さから、御座所自体が独立した一つの御殿のようであった。

 

職人の技が光る外観及び室内の優美さは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いである、織田信長の正室に相応しい設えとなっていた。

 

 

「──失礼致しまする。御台様、よろしゅうございましょうか?」

 

朝の仕度をひと通り済ませ、濃姫がの為に、御居間の上段に着座していると、

 

戸襖の開け放たれた出入口の向こうから、侍女の