「前に言うたであろう。 私は殿が真のうつけなのかどうか吟味してみると」
「はい。それは覚えておりまする」
「今はその準備をしているのです」
「準備──。これがでございますか?」
「ええ。殿のことをより深く探るためのな」脫髮成因
濃姫はにこついて言った。
そんな濃姫は、初の夜伽の日から、殆んどと言っていいほど信長とは顔を合わせていなかった。
信長は常に野駆けに出ており、たまに城に帰って来ても、彼が姫の御座所を訪れる事はまずなかった。
無論夫婦の寝所にも…。
一つ幸いだったのは、こういう時に口喧しく言ってくる千代山が、婚儀が済んだのに伴って約束通り側付きから外れてくれていた事だった。
そのおかげと言っては何だが、濃姫は誰に憚る事もなく、こうして夫の本質調査に向けての支度が自由に出来ている訳である。
『 なれど…悠長に反物選びなどしていて、まことに良いのであろうか? 』
濃姫が何をしたいのか三保野には今一わからなかったが、
少なくとも反物選びをしている場合ではない事だけはわかっていた。
普通このような状況に置かれた場合、奥方は夫君が自分の元に来てくれない事に思い悩み、
少しでもこちらに目を向けてもらえるように、化粧の腕を研いたり、愛想を振り撒いたりして、必死にアピールするところである。
が、当の本人はそんな事はまるで考えず、信長の本質を暴く事に懸命だ。
『 美濃の行く末のかかった同盟であるというのに、こんな事で良いのであろうか── 』
と、三保野の心配は減るどころか増える一方であった。
「やはり駄目じゃな、この中には相応しい物がない。…三保野、悪いが使いの者を出し、急ぎ別の反物を用意させるよう」
「承知致しました」
「出来る限り質素で、街の民たちにとけ込めるような物を頼みます」
「…た、民たちに?」
三保野の片眉がふとノ字に歪んだ。
そんな時
「失礼致します、お方様」
侍女の一人が部屋の前にやって来て、恭しく三つ指をついた。
「申し上げます。末森の城より、土田御前様がお越しにございます」
「まぁ、義母上様が?」
「はい。お方様に取り急ぎご対面あそばされたいと申されて」
「…左様ですか」
姑の時ならぬ訪問に、濃姫は軽く困惑していた。
婚礼の式の後、土田御前は、信長が立て続けに儀式を欠席した事に立腹し
『 いくら我が子とは申せ、今度ばかりは愛想が尽き申した! わらわはもう二度と信長殿には会わぬ!うつけの顔など見とうもない! 』
と叫び、信秀や信勝よりも先に末森城に戻ってしまったのだ。
故に、土田御前がこの那古屋城に足を踏み入れることは、もうなかろうと濃姫は思っていた。
ところがその姑が、たった数日でやって来たのだから驚く他ない。
濃姫は急いで三保野たちに反物を片付けさせると
「構いませぬ。義母上様をこちらにお通しして」
侍女に告げ、自身は上座の脇に控え直した。
ややあって
「──御免つかまつりまする」
襖の開け放たれた居間の入口の前に土田御前が現れ、豪奢な打掛の裾を重々しく引きながら中に入って来た。
土田御前は入室するなり、濃姫に向かってにっこりと微笑みかける。
「姫君様、ご機嫌麗しゅう」
「義母上様」
「突然押し掛けてしまい申し訳ございませぬ。お邪魔ではなかったでしょうか?」
「いいえ、ちっとも。ようお越し下さいました。──ささ、どうぞお座り下さいませ」
「有り難う」
土田御前は上座に敷かれた毛氈の上に腰を据えると、脇に控えている濃姫を微笑ましげに見つめた。