そこへ案内を買って出てくれた人当たりの良い門人が現れた。爽やかな笑みを浮かべている。
「いかがでございましょう?我らが伊東道場は。稽古の風景でもお見せ出来れば良かったのですが……」
会釈をすると、桜司郎は口を開いた。
「あの。質問をしてもよろしいでしょうか」
「ええ。何なりと」
「ここでは、試合で足を引っ掛けて転ばせるという戦法はやっていますか?」
それを聞いた藤堂はたちまち吹き出す。顯赫植髮 誰のことを指しているのかが分かってしまったからだ。門人は唖然としたが、直ぐに大きく首を横に振る。
「そ、そのような卑怯な真似は致しませぬ!我らは北辰一刀流の、繊細かつ優美……それでいて負けない剣を誇りに思っておりますから」
そこへスッと戸板が開き、長身で豊かな黒髪と目鼻立ちの整った身綺麗な男が現れた。
「伊東先生」
門人が頭を下げる。出先から伊東甲子太郎が戻ったのだ。藤堂と桜司郎の姿を認めると、伊東は驚いたように目を丸くするが、直ぐに心得たと言わんばかりに笑みを浮かべる。
「これは……藤堂君に鈴木桜司郎君。を迎えに来て下さったのですか」
ほんの少しだが、穏やかな笑みの向こうに疲れのような物を感じ、桜司郎は首を傾げた。だが、ズケズケと聞ける程の仲ではない為、指摘はしない。
「折角来て下さったというのに、何のもてなしも出来ず申し訳ありませんね。お茶を入れましょう。それくらいなら土方副長殿もお許し下さるでしょう」
伊東がそう言えば、門人は頷くと素早く去り、茶と茶菓子を用意した。自慢だという小さな庭が眺められる縁側に三人で座る。手入れの施された庭には桜草が群生していた。
「……して、先程の話は一体何だったのですか?冷静な門弟が声を荒らげておりましたが」
「ええーっと。鈴木が"ここでは試合で足を引っ掛けて転ばせるという戦法はやっていますか?"なんて聞くものだから、驚かせてしまったようです」
伊東の問いに藤堂が答える。それを聞いた伊東は苦笑いを浮かべた。短い付き合いながらも、それが誰のことを指すのか悟ったらしい。
「伊東先生……も、卑怯な真似だと思いますか?」
「ええ、邪道とは思います。武士たるもの、剣においては正々堂々と向かわねばなりませんから。そうでないと、北辰一刀流の開祖に面目が立ちません」
ハッキリと言ってのけるそれには自信が込められており、言い分が正しいと信じている目をしていた。思えば、伊東のの全てには確信や自信が含まれている。それが土方の鼻に付くのだろう。
庭へ視線を戻した桜司郎の脳裏には、斎藤と共に立ち聞きをした時の山南の言葉が浮かんだ。
『……幹部の。総長の私が、局中法度に従って切腹したとなれば』
『もう誰も、法度をすことは出来ない。…新撰組の結束はより強固な物になります』
"もう誰も法度を覆すことは出来ない"と云うのは、恐らく伊東が隊士を庇って法度逃れをさせたことを指すのだろう。
蚊帳の外の平隊士である桜司郎からすると、誰も間違っていないのだ。入隊したばかりで時代錯誤に近い法度の重みを知らぬが故に己の考えを貫いた伊東、並々ならぬ覚悟と共に新撰組とその隊士の命を背負う土方。
ただ、"真っ直ぐな正義は時にして諸刃の剣となる"。山南は